2014年6月29日日曜日
2013 1/22 『遺されたものが語ること#2』
次の史跡は石神井城跡へ…
平安時代末期から室町時代中期まで、
現在の台東区・文京区・豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区など
その周辺地域を支配していた豊島氏の居城のひとつ。
ボスである豊島泰経は太田道灌に降伏を願い出るも、
条件であった城の破却を行わなかった為に、
偽りの降伏とみなされ、太田道灌に攻められて落城。
追われて今の飛鳥山公園近くの平塚神社あたりにあったという
平塚城へ逃げ込むも攻められ落城。
さらに追われた先の城…
それ以後は行方知れずとなり、
豊島本宗家は歴史上から姿を消すことになった。
…本郷通りに面した平塚神社、
JOGしている時に気になってふらっと立ち寄って、
参拝したことがあります。
その時は城跡だとは知りませんでした。
…太田道灌はこの戦いの前、
戦勝祈願に参詣したといわれている神社は
駒込にある妙義神社。
JOG途中に参拝したときの画はこちら
勝負の神様...受験や試合などの前に訪れる参拝者が多いとのこと。
…太田道灌と父が築いた川越城(本丸御殿)へも昔に行ったことがありますが、
とても立派な佇まいで現存しています。
ちなみに、童謡の“通りゃんせ”は
本丸御殿隣にある三芳野神社の参道が舞台と言われおり、
当時の人はまぁ行きも帰りも大変だったんだなと思いながら参拝しました。
...日影にひっそりと佇む石神井城石碑、
地面は雪でカッチカチ…
夏は虫がはんぱないことでしょう。
と、ようやくこれたのと、なかなかの距離を走って来たのも相まって、
極寒で縮みあがっていますが、うれしいものです。
上へとのぼると、少し小高くなって、
空堀、土塁...高低差10mくらいあったそうなので、
なかなか立派だったのではないでしょうか。
CG via
石神井公園、跡以外もなかなか見所がある素敵なところでした。
帰りの距離と日暮れの時間が気になり、ぐるっと一周して公園をあとにする。
園内にある豊島屋という休憩茶屋は豊島氏からいただいたのだろうな、と…
今も昔も戦いの元になるのは人事が大きくからむということでしょうか。
主人の能力を凌駕する優秀な下の者は消されることが多々あるのも今もそうでしょうか。
遺跡、史跡などが語ること、とても楽しい。
今の時代にも役に立つことが多いことでしょうか。
ビジネスはクールではなく、結局は人対人、小さなことの積み重ね、
義理と人情と説いたリーダーらの言葉も思い出します。
健康麺、、あ、チッ、、
健康面の改善から...耐力と体力の向上へと、
そしてトレーニングの一部にもしつつある、
と、兼ねて。
JOG 30.8km 3:03’17” (05’57/km) , WLK 3.2km
走りっぱではないが、だいぶ走れてきている。
(前に30km走った時)
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