2015年11月25日水曜日

2015 11/19 『PUMA TRACと地図と道』

以前にも書いたが....
40歳前後で身体の衰えを感じはじめ、じゃぁ少し運動みたいなことを取りいれてみようと、で、意外と思いのほかその成果に気持ちが良くなり、なんだか気分も体調も良くなり、日々の生活に張りが出てきたりと良いことを多く感じて、結果的にガチムチボディになったり(長渕さんや松ちゃんのように)、すっかりランナーになってしまったりする人も多いと。
まだ10代20代の頃に、なんで40歳前後でガチムチや運動になはまる人が多いんだろう?と思っていたが、もれなく自分もそうなった。
一番うれしいのはほんと疲れにくくなったし、また動けるようになったのがなんとも心地がいい、それだけ。
垂直跳びをすれば一発で身体の衰えを実感することが出来るだろう....反応がまぁ鈍くなってびっくりしたもんだ。
普段の生活では垂直跳びなんぞすることはまずないですからね、趣味でスポーツをやっていなければ。
目の筋力の低下もある程度までは抑えることができるだろう。
抗うことはないが、なるべく気持ちよく動ければいいなとつくづく思う。

そんなこんなでもうすぐ7年になるが変わらずに、走っていると気持ちがいいしとても落ちつく。
そして、走っている時に近所や近所じゃない遠くでも、なぜか道を尋ねられることが異常に増えたので、近所じゃなくてもどこを走ってても聞かれて良いように、町と道をなるべく頭に入れておこうという変な意識まで芽生えて....突然道を聞かれてうまく説明できなかった時のなんともムズがゆいような気持ち、図書館に行きたいけど道に迷ってしまってとベビーカーに赤ん坊のママ、夕暮れ時に家に帰るのに迷ってしまった自転車のチビら、ちゃんと行けるかな?大丈夫かな?とか、そしてスコーンとばっちり説明できた時の気持ちよさ、なんなんだろうこれって自分でも思うが、まぁ役にたてるというものはなんでも良いものです。
説明する時に一番難しいのは女性、特に母娘の親子だと最近わかった。自分達でGoogleマップをみても分らない親子には、神田明神から御徒町の道順を教えるのはなかな難しかった。
この1年でもうすぐ10人、多いですよね、たぶん....7年間ではどれだけの人に道を尋ねられているのか。。
目の前を通り過ぎた自転車のおじさん、Uターンして、ある町に行きたいので道を教えて欲しいと、他にもたくさん人がいるのになんで自分なのだろうとランニングウェアじゃないし不思議で、、つい数週間前のこと。
運転を生業にしている人が異常に道に詳しくなるのと同じ、タクシーだと建物まで詳しくなる、それがプロなのだが、ランニングは速度が遅いぶん、人やテナント、建物から始まり町のあちこち細かいものまで見えてくる。
今なら、近所の史跡や遺跡、神社や寺、地蔵菩薩や庚申塔など、その道順を尋ねられても、多々答えることができそうだ。
そんなこんなで、町にある色んなものに詳しくなりつつあるのはランニング効果の要らないような副産物ともいえる。

最近はちゃんと走る時はランニングウォッチ、ルーチンで走る時はJognoteとNIKE+runningアプリを使っているが、PUMAのアプリもちょっと使ってみた。
他のアプリよりも色々な機能があるのがウリのようでなかなか面白い。
そしてデザインがかっこいい。スタート画面の余白の美、フォント、モノトーンでがちゃがちゃしていないのがとても好みだ。
ただ、残念なのはオートポーズ機能がないことだ。(設定にあるのかもしれないが見当たらない。オートポーズってのは、走ってて信号待ちなどで立ち止まった時に、自動で計測をSTOPしてくれて、また走りだすと計測してくれるという機能のこと。)立ち止まっても、時計は動いたままなので、どうやら自動では止まってくれないみたいだ。前出の2つのアプリにはその機能はある。
止まってその都度ウエアのチャックを開けて取り出して止める、そしてまたONにしてチャックを閉めて走りだすというのが面倒でしかたがない。
アナログライダー、高速の料金所でグローブ外して札を出して、小銭しまってまたグローブをつけて走りだす、そんな感覚に近いかなと。
必然的に、画面が見られるように画面のとこだけ透明になっているアームバンドを使わざるを得ない....立ち止まる度に腕をあげて画面を覗いてONとOFF、それにしてもちょっと面倒かなと思うケド。腕時計だったらまだ操作がラクだけど。
実際に8kmほど走ってON,OFFしたりしなかったりしてみたら、5分以上多めに時間がかかってた。
....にしてもデザインが好み。
ゲームに夢中になるのと同じ感覚かもしれない....ランニングウォッチと違って、画面をトントンするランニングのアプリは生身の自分がキャラのゲームという感じなのかな。

Googleマップ自体は使えるが、NIKE+runningとPUMA TRACで、突然表示されなくなったGoogleマップは何してもなおらない。再インストールまでしたけど。
どこを走ったかはどうでもいいけど、アプリと連動してくれないのがなんともこそばい。
携帯に興味がないので、ほとんどお店に行ったことがないが、こういうのは販売店で聞いたら教えてくくれるのだろうか。

脈絡がない内容だけど、やっぱり地図が好きだということだ。

2015年11月18日水曜日

2015 11/18 『SKATEBOARDING IS NOT A SPORT』

The March To The Olympics.
Many of the skateboard industry intelligentsia have convinced themselves that it is Manifest Destiny. And so the positioning, the scheming, the slinking in the shadows is in full swing— All in the hope of securing a piece of the pie, or an appointment of status, or at the very least to just be in the conversation. All in the great name of supply and demand! In these noble efforts, all Native and Primitive Cultures must comply, assimilate and be absorbed. It is justified and inevitable. This is the corporate way. And in the hands of our leaders, skateboarding is now nothing more than a calf being fattened for slaughter. And who will dine at this great feast? And what banner will they wave with pride and honor as they pat themselves on the back? Telling themselves that this brings our culture the legitimacy that we had always fought for and so rightly deserve — And how they did it all for us.
Bullshit!
— Mike Vallely



2015 11/9 『ほとんど興味がないもののひとつ』

それは携帯電話...20年程前に携帯電話を持ってから、どうだろうか、買い換えたのは憶えている限りで4~5台なのでひとつで4~5年使い倒していることになるが、使った機能は電話とカメラとメール位なもんだった。
iモードで検索をするってこともほぼなく、カメラで記号を写してアクセスするのもついこないだ憶えたようなものだ。
携帯にメールが送られても返信するのは一苦労で、2行書くことはもう長文、だいたい「はい」とか「おやすみ」「お疲れさまです 承知しました」くらいな返信で、1行で済まない返信メールはPCアドレスに転送して返信してた。携帯でサイトに何かログインせざるを得ない場合なら手こずりまくりのチッ!チッ!の連続、ストレス大だった。
とにかく、あの小さいボタンで字を書くのに何回も×2ボタンを叩くことに、あの変換のしづらさに一切慣れることはなかった。
昔も今も新機種発売とかスペックもほとんど興味がない。
唯一望むことは壊れにくさだ....よく落とすし、汗で濡れやすいからで、ランニング時の汗でスピーカーがひん死ひそひそ話状態で着信にほとんど気づかなくなり、しょうがなく替えたようなものだ。
結局のところ携帯ではCADやAdobe製品での仕事はできないから、電話と仕事メール確認と家族連絡メールができればそれだけでよかったし....

で、選択肢なしで決めた120cmの高さから落としても大丈夫で高い防水機能を誇るという堅牢頑丈だけがとりえのような今の携帯にも結局あまり慣れていない...メールは5行も書くと疲れるし、片手操作はできないし、変換して指先っちょで選択するも違う文字をチョイスすることばっかりで、いつの間にかGPSはONにしているのにNIKE+runningのアクティビティ全部の地図が突然表示されなくなった。他のランニングアプリは問題なけど...

歩きスマホの人を1日に何人避けているか、鬱陶しいと感じない人はいないだろうと思うが....薄暗い狭い歩道、まったく前を見ず音楽聞いて画面をいじっている子に“ねこだまし”で気づいてもらうこともたまにある。

携帯は便利だけど....夢中でいじってて踏切くぐって亡くなった人もいるし、この前びっくりしたけど車道の真ん中でいじっていたり、そこどう考えてもジャマな場所でいじっていたり、音楽聞きながら車道を逆走チャリ乗りスマホの人、スマホによって若年性老眼みたいな人が増えているというニュース、スマホ依存症、、なんだかよくわからない。

2015 11/6 『ギャップフィット』

ギャップフィットはGAPのスポーツライン。
今季のウイメンズのデザインはなかなか魅力的。
ウイメンズのみの取り扱いだったが、ようやくメンズが登場。
春夏、池袋のGAPでメンズのコンプレッションウェアを見かけて、ようやく出るのかなと思っていたところ。
値段的には高くも安くもないようなところで、トップスは普段着としてもいいような感じ。
着やすいカラーでいいですね。
日頃のトレーニングやジョグにはいい製品かなと。

グググッとしっかりと冬が近づいてきている。
パーカーに半ズボンという何かの試合後の格好のようでもあり....なんせ動きやすいこの格好が好きで、この秋はずっとそんな格好をしているが、それももうそろそろ終わり....暖かい日中はまだ平気だけど。
ランニングする時もロングスリーブ(+ベスト)にショーツという格好、タイツをはいていると動きにくいと最近感じるし、すぐに着替えられるし洗濯物が減るしと、何かといいことが多い。暖かい日中に限るけど。

そう言えば、いつ頃からだっただろうか....土木工事や建設業の職人さんの作業着はコンプレッションウエアのようなピッチピチの機能的なものになっている。
理にかなっているなぁと思う。大量に汗をかくし、なんせ汗が邪魔しないし、動きやすいと分ったのは先日剥がれてきたクロスの補修を4時間かけてやったから。
ヒザが薄くなったロングタイツとコンプレッョンウエア(ノースリーブ)で作業したらとても動きやすかった。あちこち家具をどかしては移動させて、糊練って貼って....
機能性ウエア、 これからの大掃除にはもってこいです。

2015年11月11日水曜日

2015 11/11 『スケートとの出会い』

中年スケーターにとってはとても懐かしいデッキではないだろうか。
捨てた人もいるし、自分のようにずっととっておいている人もいるだろう。
インテリアとして飾ってグラフィックを眺めるのがとても心地がいいのだ。
左からHOSOI ハンマーヘッドとその隣のDOG TOWN アーロンマーレーが今から約30年ほど前に自分が乗っていたスケートボード。
ジェフケンダルとランスマウンテンはスケート仲間がくれたデッキで、右端のはZorlac Todd Princeというモデルで、25年くらい前に原宿のオッシュマンズだっただろうか、上野だっただろうか...で、デッドストックとして破格の値段で売られていたもの。
一番上のコンプリートはモデルがよくわからないのだが、今から約20年ほど前に、今でいうところの裏原宿、ネーバーフッドがある通りにSHOPを構えていた友の相棒だった元プロスケーターから戴いたものだ。

滑りはじめたのは中学にあがってすぐの13歳の時だった。
初めて手にしたスケートボードは池袋の丸井スポーツ館で売っていた廉価版のコンプリートで、僕らはすぐに巧くなっていって、もっといいモデルにしようということになり、自分はHOSOIを選び、トラックはインディペンデント、ウィールはたしか...VISIONだっただろうか、ベアリングも良い物にして、あまりの滑り心地の良さに廉価版との差にとても驚いたものだ。
そうすると技もメキメキと上達し、ジャンプランプを自分達でつくるようになった。材は近くの家具工場で要らなくなったコンパネやたる木をタダで貰ってきて、フリーハンドで設計図を描いて初めてのジャンプランプを完成させた。
その後も頭の中にある設計図を元にして大小何台もジャンプランプを作り、隣町の広場の大きい公園に載っけて遠征したものだ。
当時得意だったエアは、メソッド、メソッドからのワンフット、ジュード、マドンナ、ジュード&マドンナ、ロケット、フロントサイドタイトリーエントリー??(フロントサイドをグラブして飛び蹴りみたいな格好)、JT、モスキート、エアウォーク、インディー、ジャパン、ぱっと思いだせるのだとこんな感じだ。
ロックンロール、色んなプラント、壁を使った技もよくやっていた。
中学の3年間、スケートボードをしている時だけは毎日楽しかった。
その当時の自分は、定時制高校にも進学できないほどの学力しかなかったのだが、スケートと出会い、達成する喜びを感じ、注目をされ、もっと巧くなりたいと思うようになり、色んなことを克服したいと思うようになって中2から勉強をし始めるようになった。
学年でも最下位レベルだったのが、中3の頃にはクラスでも3番くらいをとれるようになり、先生方はあまりの変貌に毎日びっくりしてことの成り行きを見ていたという。
偏差値でいうと30いくつから62くらいまで上がったと記憶している。
そして僕は絶対に私立には行けなかったので、実力よりも一つ低くてやや良い普通の都立高校に進学をすることができたのだが、それもこれもスケートのお陰だ。
その後はしばらくスケートとは離れて生活をしていて、挫折も経験しながら芝浦工業大学へと進学をすることができた。


自分にとってスケートボードは遊びじゃなかった。
道だった。
大切なことを学んだ。
救われた。

そういう思いがあるから、今でもデッキを身の近くに置いている。

ミドルエイジでもオーリーがまだまだ出来ることは宝物。