2015年12月28日月曜日

2015 12/25 『スケート祓い』


日曜日の朝、半年ぶりにスケートの練習をした。
楽しくすべるというよりも身体がうまいこと言うことを聞いてくれないので、もうコケないように必死にひたすら同じことをくり返すことをしている。
すると身体が徐々に動いてきてくれるもすぐに筋肉がスロウになって動かなくなる...休憩してまた同じことをくり返す。
だからこん時は楽しいというよりも悔しいという気持ちになった。
まぁしょうがないんだけど....
ムリはしない。
一発だけスパンと高いオーリーができた。
デッキが脚に吸い付いてきてくれる、あの感触、とてもいいものです。
高さは40cmくらいだろうと思う。
ずぶ濡れでフィニッシュ。
練習、そう思ってすべるのも結構好き、スケート道。
もうちょいまた慣れればめちゃくちゃ楽しいと思えるだろう。
この5年くらいでの老いの自覚、10年前にすべっていた感触、感覚は遠いものになってしまった。
ま、そんなものだけど。
スポットビルト(サッカニーの前身)のシューズ、シューレースも切れそうなのがなんともいい気持ち。13歳の頃のあの気持ちと同じ。

スケート後は年越しの大祓を。
前は家族みんなの分も勝手にしてたけど、なんせ人形の数がえらい枚数になってしまうので、近頃は3人分だけ。
けがれてしまいまくり。
で、みな健康でありますように。

スケートと大祓で心身共にすっとした日曜日だった。

メリークリスマス
赤ん坊だった頃、自分はイエス・キリストとシスター、施設の皆様に一時期育ててもらっていた。その間に年子の弟は天に帰った。
弟の死との引き換えに僕ら家族3人が生きることができた。
この時季、生と死、嬉しさと悲しさが同居している心に気づく。
イエス・キリストとシスター、施設の皆様、そして弟には心から感謝している。
自分はこれからも宗教を持つことはないと思うが、これからも毎日手をあわせる、ただそれだけだ。

そういえば、サーティーワンだっただろうか、アイスのケーキを家族3人で仲良く突っついて食べてたな。

2015年12月24日木曜日

2015 12/24 『榎本武揚から緒方洪庵へ』

幕末が好きな人にはお馴染みの榎本武揚(幕末・明治の幕臣・政治家・子爵)の墓所は歴代の徳川将軍が日光に参拝するために整備された日光御成街道(本郷通り)に面した吉祥寺にある。場所は本駒込。
中央線の吉祥寺はこの吉祥寺が由来。
かつて水道橋にあった吉祥寺は明暦の大火でこの本駒込へと移転し、門前町の住人が現在の吉祥寺周辺を開拓し移り住み、愛着を持っていたので吉祥寺と名付けたという。

榎本武揚はなんとかなりのエリート。
語学に優れ、なんと七ヶ国語も話せたとも言われています。
さまざまな国をめぐり機械学から最新化学までありとあらゆることを学び、そして日本の未来に役立てようとした榎本。
しかし、当時将軍の徳川慶喜が大政奉還。
さらに薩長が倒幕をかかげ幕府を脅かしてゆきます。
その中の一人が黒田清隆でした。
黒田は西郷隆盛、大久保利通など幕末の志士が多く集まった下鍛冶屋町付近で生まれました。
西郷を兄と慕っていた黒田は旧幕府を追い込んでゆきます。
そしてたどり着いた蝦夷共和国で榎本武揚と黒田清隆は出会います。

旧幕府最後の砦、蝦夷共和国。フランス行使ブリュネのおかげで榎本率いる旧幕府軍は新政府軍との戦いに挑みます。
しかし、すでに旧幕府軍の生き残った数はのこりわずか…そのとき榎本はある行動に出ます。
それは榎本が肌身離さずもっていた海律全書です。
前頁オランダ語で書かれた本をなんと新政府軍に送ったのです。
「自分が死んでもこれからの日本のためにこれは必要だ」
しかしこれをみた新政府軍は驚きます。
これほどの学識をもった人をここで殺してしまうのは間違っているのでは・・・
そこで黒田清隆はござをしき、マグロやするめ、そして酒を用意し榎本武揚との会談に臨みます。
そして榎本武揚は自分を殺し、ほかの者を助けてほしいと黒田にお願いします。
「榎本さんこそこれからの時代に必要な人物。その命私がすくいもんそう」そして榎本は降伏を受け入れ江戸時代にピリオドがうたれたのです。

榎本は黒田のおかげで新政府の一員となります。
そして当時日本が抱えていた外交問題を得意な外国語で日本を救ったのです。
さらに黒田清隆が第2代総理大臣の座に上り詰めたとき支えたのはいくつもの大臣を歴任した榎本でした。
さらに明治32年には榎本の息子と黒田の娘が結婚。二人の交友は、ついに血縁関係にまで発展したのです。via
箱館戦争で五稜郭に入り新選組の土方歳三らと闘ったのは有名ですね。

吉祥寺にいた巨大なネコ...目があって呼ぶとやってきた。
かわいいのうかわいいのうといじくり倒していたら、顔に飛込もうとしてきた。
たぶん腹が相当減っていたのだろう。
しかしすごいボディだ。
ちなみに、吉祥寺には二宮尊徳のお墓もある。

後にして吉祥寺の近所にある高林寺へ、ここは緒方洪庵の墓所。

緒方洪庵:日本の武士・足守藩士、医師、蘭学者でもあります。大坂に適塾を開き、優秀な人材を多く育てました。
天然痘やコレラの治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれています。via
1838年、大坂に蘭学塾(適塾)を開いて、多くの門人を育てた。適塾からは明治に活躍した多くの人材(大村益次郎、福沢諭吉、佐野常民、橋本左内、大鳥圭介、長与専斎、高松凌雲、池田謙斎など)を輩出した。via

Running 11.64km 1時間08分39秒 (05'53 /km)

健康管理ランニング兼ねての寺巡りはおもしろい、特に武士の墓所巡りは。

2015 12/18 『ふと...』

1-2ヶ月前....
ふと寄った池袋西口パークで金粉ショウを見かけた。
すごい迫力だった。
すごく小さいパンツを履いていた。
至近距離から望遠レンズで狙われて、お手入れはたいへんだろうなとふと思った。
ふと思いだしたことがあった。
このパークは整備される前、今から30年弱前にぼくらはここでもスケートしてたんだと。ギャラリーもたくさんいて歓声や拍手に、もっと巧くなりたいなと思ったんだよなと。
朝JOGする時、ふと立ち寄るこのパーク、様々な人間模様をみる。
このパークは昔から様々な出来事があったなとふと思いだした。
もうちょい前にはここには闇市が広がっていたんだよな、そう言えば。

ふと足が向くところがある。
それは池袋の隣村の雑司ヶ谷、鬼子母神。
境内に樹齢700年くらいだろうと言われている大銀杏がある。
写真では伝わりにくいが、本当に巨木なのだ。
都の天然記念物に指定されていて冊に囲まれている。
木に触れると子供が授かるということから“子授けイチョウ”ともよばれていて、鬼子母神は安産・子安の神様。
ご縁のある王子、板橋宿そして雑司ヶ谷は一本の道でつながっている。
鬼子母神を後にして向う先は護国寺、神田川が削った谷に下ったり上ったりたいへんなんだけど、このコースってほんと気持ちがいいのです。

ランニングコースで立ち寄る鬼子母神、ふと思った、なぜか足が向く、なんでだろうと。
ふと思いだすことがある。
生まれてこれなかった年子の弟。
彼はなにをしたかったのかな。
いや、何をしたいのかと。
二人で生きていると思って今まで生きてきたから。

二。

長男なのに二、いいんですそれで。

2015年12月15日火曜日

“PKG” “HECTIC”

20年ちょい前だっただろうか....裏原宿といわれ出した頃、友達がスケートブランドを扱っているお店を開いていてよく原宿に遊びに行っていた。その時に入手したPKGのシャカシャカパンツ。
バイクに乗る時のオーバーパンツとしても活躍、ミドルエイジに突入した頃、冬のランニングにはこれを履いて4km−6kmと走っていたのを思いだした。
自分は型から入らないタイプなので、ランニング用ではないPKGをチョイス。
知っている方から見たら懐かしいパンツではないだろうか。

http://www.houyhnhnm.jp/mag/hynm_feature_xlarge/

NEWBALANCE VAZEE RUSH

RUSHでだいぶ走ってみたけども、ヒールがソフトだからか、穴がひとつ少ないからか、やはりヒールがずれやすいと感じるので、ヒモの最後を他のシューズよりもきつく縛らないとならない。
それ以外はとても走りやすいと思う。薄手のソックスでちょうどいい。
秋が長く、暖冬っぽい今年はこの前24℃を記録した日があった。先週の土曜日も日中は暖かくて、まだ3/4タイツで十分だった。

2015年12月12日土曜日

2015 12/10 『取っておく方』

自分が通っている美容室は恵比寿と代官山の中間にある。
以前は原宿、現在の表参道ヒルズの真裏にあったが、開発によって移転を余儀なくされた。
かれこれ20年近くちょきちょきしてもらっていることになる。
オーナーはスケーターで今でも週に2回くらいはパークなどで滑っていて、ボクら世代のちょい上の先輩スケーターとして顔の広い方だ...歴は30年くらいはいっていることだろう。
彼にデッキは取っておく方かとっとと捨てる方かを聞いたら、前者だと言っていてなんと50枚以上はあると、で、個展したら見どころ満載でおもしろいかもねと、そんな話になった。
自分もデッキは捨てないで取っておく方なので、7枚ある。そのなかでコンプリート(滑れる状態のもの)が3つ.....かつての生活の一部、自分の一部のような感覚があるので取っているとも言える。

物が多いのっていろいろと窮屈に感じるのでなるべく物には固執しないで処分するようにしているが、スケートボードと同じような感覚があるランニングシューズも取ってある。
全部で6足だ。
走っている割にはたぶん少ない方かなと思うも、周りにランナーがほとんどいないので分らないが。
3-4足あると履きまわせるので、寿命が長いということもあるのだろう。
上の黒いシューズが初めてので、順に下のが新しいものでVAZEE RUSHというモデル。自分のような健康管理的に走っている人にはちょうどいい製品。
つま先がけっこう上がっているので、足さばきがよくて走りやすいのが特徴だ。個人的にはヒールのホールド感がもうちょいあった方がいいな。
ちょこちょこ激しい運動にも向いているようで、フィットネスランナーからレースまで対応できるようだが、どうだろうか。

ソールの状態がよくないからランニングするには向かないシューズもあり、普段履きでは十分なのでなかなか処分できないというのもあるが、捨てにくいものだ。

スケートボードで走る、自転車で走る、バイクで走る、ランニングシューズで走る.....ツールをどれにしようかとチョイスする感じ、精神的に気持ちがいいしやっぱり共通要素があってどれもいいものです。

2015年11月25日水曜日

2015 11/19 『PUMA TRACと地図と道』

以前にも書いたが....
40歳前後で身体の衰えを感じはじめ、じゃぁ少し運動みたいなことを取りいれてみようと、で、意外と思いのほかその成果に気持ちが良くなり、なんだか気分も体調も良くなり、日々の生活に張りが出てきたりと良いことを多く感じて、結果的にガチムチボディになったり(長渕さんや松ちゃんのように)、すっかりランナーになってしまったりする人も多いと。
まだ10代20代の頃に、なんで40歳前後でガチムチや運動になはまる人が多いんだろう?と思っていたが、もれなく自分もそうなった。
一番うれしいのはほんと疲れにくくなったし、また動けるようになったのがなんとも心地がいい、それだけ。
垂直跳びをすれば一発で身体の衰えを実感することが出来るだろう....反応がまぁ鈍くなってびっくりしたもんだ。
普段の生活では垂直跳びなんぞすることはまずないですからね、趣味でスポーツをやっていなければ。
目の筋力の低下もある程度までは抑えることができるだろう。
抗うことはないが、なるべく気持ちよく動ければいいなとつくづく思う。

そんなこんなでもうすぐ7年になるが変わらずに、走っていると気持ちがいいしとても落ちつく。
そして、走っている時に近所や近所じゃない遠くでも、なぜか道を尋ねられることが異常に増えたので、近所じゃなくてもどこを走ってても聞かれて良いように、町と道をなるべく頭に入れておこうという変な意識まで芽生えて....突然道を聞かれてうまく説明できなかった時のなんともムズがゆいような気持ち、図書館に行きたいけど道に迷ってしまってとベビーカーに赤ん坊のママ、夕暮れ時に家に帰るのに迷ってしまった自転車のチビら、ちゃんと行けるかな?大丈夫かな?とか、そしてスコーンとばっちり説明できた時の気持ちよさ、なんなんだろうこれって自分でも思うが、まぁ役にたてるというものはなんでも良いものです。
説明する時に一番難しいのは女性、特に母娘の親子だと最近わかった。自分達でGoogleマップをみても分らない親子には、神田明神から御徒町の道順を教えるのはなかな難しかった。
この1年でもうすぐ10人、多いですよね、たぶん....7年間ではどれだけの人に道を尋ねられているのか。。
目の前を通り過ぎた自転車のおじさん、Uターンして、ある町に行きたいので道を教えて欲しいと、他にもたくさん人がいるのになんで自分なのだろうとランニングウェアじゃないし不思議で、、つい数週間前のこと。
運転を生業にしている人が異常に道に詳しくなるのと同じ、タクシーだと建物まで詳しくなる、それがプロなのだが、ランニングは速度が遅いぶん、人やテナント、建物から始まり町のあちこち細かいものまで見えてくる。
今なら、近所の史跡や遺跡、神社や寺、地蔵菩薩や庚申塔など、その道順を尋ねられても、多々答えることができそうだ。
そんなこんなで、町にある色んなものに詳しくなりつつあるのはランニング効果の要らないような副産物ともいえる。

最近はちゃんと走る時はランニングウォッチ、ルーチンで走る時はJognoteとNIKE+runningアプリを使っているが、PUMAのアプリもちょっと使ってみた。
他のアプリよりも色々な機能があるのがウリのようでなかなか面白い。
そしてデザインがかっこいい。スタート画面の余白の美、フォント、モノトーンでがちゃがちゃしていないのがとても好みだ。
ただ、残念なのはオートポーズ機能がないことだ。(設定にあるのかもしれないが見当たらない。オートポーズってのは、走ってて信号待ちなどで立ち止まった時に、自動で計測をSTOPしてくれて、また走りだすと計測してくれるという機能のこと。)立ち止まっても、時計は動いたままなので、どうやら自動では止まってくれないみたいだ。前出の2つのアプリにはその機能はある。
止まってその都度ウエアのチャックを開けて取り出して止める、そしてまたONにしてチャックを閉めて走りだすというのが面倒でしかたがない。
アナログライダー、高速の料金所でグローブ外して札を出して、小銭しまってまたグローブをつけて走りだす、そんな感覚に近いかなと。
必然的に、画面が見られるように画面のとこだけ透明になっているアームバンドを使わざるを得ない....立ち止まる度に腕をあげて画面を覗いてONとOFF、それにしてもちょっと面倒かなと思うケド。腕時計だったらまだ操作がラクだけど。
実際に8kmほど走ってON,OFFしたりしなかったりしてみたら、5分以上多めに時間がかかってた。
....にしてもデザインが好み。
ゲームに夢中になるのと同じ感覚かもしれない....ランニングウォッチと違って、画面をトントンするランニングのアプリは生身の自分がキャラのゲームという感じなのかな。

Googleマップ自体は使えるが、NIKE+runningとPUMA TRACで、突然表示されなくなったGoogleマップは何してもなおらない。再インストールまでしたけど。
どこを走ったかはどうでもいいけど、アプリと連動してくれないのがなんともこそばい。
携帯に興味がないので、ほとんどお店に行ったことがないが、こういうのは販売店で聞いたら教えてくくれるのだろうか。

脈絡がない内容だけど、やっぱり地図が好きだということだ。

2015年11月18日水曜日

2015 11/18 『SKATEBOARDING IS NOT A SPORT』

The March To The Olympics.
Many of the skateboard industry intelligentsia have convinced themselves that it is Manifest Destiny. And so the positioning, the scheming, the slinking in the shadows is in full swing— All in the hope of securing a piece of the pie, or an appointment of status, or at the very least to just be in the conversation. All in the great name of supply and demand! In these noble efforts, all Native and Primitive Cultures must comply, assimilate and be absorbed. It is justified and inevitable. This is the corporate way. And in the hands of our leaders, skateboarding is now nothing more than a calf being fattened for slaughter. And who will dine at this great feast? And what banner will they wave with pride and honor as they pat themselves on the back? Telling themselves that this brings our culture the legitimacy that we had always fought for and so rightly deserve — And how they did it all for us.
Bullshit!
— Mike Vallely



2015 11/9 『ほとんど興味がないもののひとつ』

それは携帯電話...20年程前に携帯電話を持ってから、どうだろうか、買い換えたのは憶えている限りで4~5台なのでひとつで4~5年使い倒していることになるが、使った機能は電話とカメラとメール位なもんだった。
iモードで検索をするってこともほぼなく、カメラで記号を写してアクセスするのもついこないだ憶えたようなものだ。
携帯にメールが送られても返信するのは一苦労で、2行書くことはもう長文、だいたい「はい」とか「おやすみ」「お疲れさまです 承知しました」くらいな返信で、1行で済まない返信メールはPCアドレスに転送して返信してた。携帯でサイトに何かログインせざるを得ない場合なら手こずりまくりのチッ!チッ!の連続、ストレス大だった。
とにかく、あの小さいボタンで字を書くのに何回も×2ボタンを叩くことに、あの変換のしづらさに一切慣れることはなかった。
昔も今も新機種発売とかスペックもほとんど興味がない。
唯一望むことは壊れにくさだ....よく落とすし、汗で濡れやすいからで、ランニング時の汗でスピーカーがひん死ひそひそ話状態で着信にほとんど気づかなくなり、しょうがなく替えたようなものだ。
結局のところ携帯ではCADやAdobe製品での仕事はできないから、電話と仕事メール確認と家族連絡メールができればそれだけでよかったし....

で、選択肢なしで決めた120cmの高さから落としても大丈夫で高い防水機能を誇るという堅牢頑丈だけがとりえのような今の携帯にも結局あまり慣れていない...メールは5行も書くと疲れるし、片手操作はできないし、変換して指先っちょで選択するも違う文字をチョイスすることばっかりで、いつの間にかGPSはONにしているのにNIKE+runningのアクティビティ全部の地図が突然表示されなくなった。他のランニングアプリは問題なけど...

歩きスマホの人を1日に何人避けているか、鬱陶しいと感じない人はいないだろうと思うが....薄暗い狭い歩道、まったく前を見ず音楽聞いて画面をいじっている子に“ねこだまし”で気づいてもらうこともたまにある。

携帯は便利だけど....夢中でいじってて踏切くぐって亡くなった人もいるし、この前びっくりしたけど車道の真ん中でいじっていたり、そこどう考えてもジャマな場所でいじっていたり、音楽聞きながら車道を逆走チャリ乗りスマホの人、スマホによって若年性老眼みたいな人が増えているというニュース、スマホ依存症、、なんだかよくわからない。

2015 11/6 『ギャップフィット』

ギャップフィットはGAPのスポーツライン。
今季のウイメンズのデザインはなかなか魅力的。
ウイメンズのみの取り扱いだったが、ようやくメンズが登場。
春夏、池袋のGAPでメンズのコンプレッションウェアを見かけて、ようやく出るのかなと思っていたところ。
値段的には高くも安くもないようなところで、トップスは普段着としてもいいような感じ。
着やすいカラーでいいですね。
日頃のトレーニングやジョグにはいい製品かなと。

グググッとしっかりと冬が近づいてきている。
パーカーに半ズボンという何かの試合後の格好のようでもあり....なんせ動きやすいこの格好が好きで、この秋はずっとそんな格好をしているが、それももうそろそろ終わり....暖かい日中はまだ平気だけど。
ランニングする時もロングスリーブ(+ベスト)にショーツという格好、タイツをはいていると動きにくいと最近感じるし、すぐに着替えられるし洗濯物が減るしと、何かといいことが多い。暖かい日中に限るけど。

そう言えば、いつ頃からだっただろうか....土木工事や建設業の職人さんの作業着はコンプレッションウエアのようなピッチピチの機能的なものになっている。
理にかなっているなぁと思う。大量に汗をかくし、なんせ汗が邪魔しないし、動きやすいと分ったのは先日剥がれてきたクロスの補修を4時間かけてやったから。
ヒザが薄くなったロングタイツとコンプレッョンウエア(ノースリーブ)で作業したらとても動きやすかった。あちこち家具をどかしては移動させて、糊練って貼って....
機能性ウエア、 これからの大掃除にはもってこいです。

2015年11月11日水曜日

2015 11/11 『スケートとの出会い』

中年スケーターにとってはとても懐かしいデッキではないだろうか。
捨てた人もいるし、自分のようにずっととっておいている人もいるだろう。
インテリアとして飾ってグラフィックを眺めるのがとても心地がいいのだ。
左からHOSOI ハンマーヘッドとその隣のDOG TOWN アーロンマーレーが今から約30年ほど前に自分が乗っていたスケートボード。
ジェフケンダルとランスマウンテンはスケート仲間がくれたデッキで、右端のはZorlac Todd Princeというモデルで、25年くらい前に原宿のオッシュマンズだっただろうか、上野だっただろうか...で、デッドストックとして破格の値段で売られていたもの。
一番上のコンプリートはモデルがよくわからないのだが、今から約20年ほど前に、今でいうところの裏原宿、ネーバーフッドがある通りにSHOPを構えていた友の相棒だった元プロスケーターから戴いたものだ。

滑りはじめたのは中学にあがってすぐの13歳の時だった。
初めて手にしたスケートボードは池袋の丸井スポーツ館で売っていた廉価版のコンプリートで、僕らはすぐに巧くなっていって、もっといいモデルにしようということになり、自分はHOSOIを選び、トラックはインディペンデント、ウィールはたしか...VISIONだっただろうか、ベアリングも良い物にして、あまりの滑り心地の良さに廉価版との差にとても驚いたものだ。
そうすると技もメキメキと上達し、ジャンプランプを自分達でつくるようになった。材は近くの家具工場で要らなくなったコンパネやたる木をタダで貰ってきて、フリーハンドで設計図を描いて初めてのジャンプランプを完成させた。
その後も頭の中にある設計図を元にして大小何台もジャンプランプを作り、隣町の広場の大きい公園に載っけて遠征したものだ。
当時得意だったエアは、メソッド、メソッドからのワンフット、ジュード、マドンナ、ジュード&マドンナ、ロケット、フロントサイドタイトリーエントリー??(フロントサイドをグラブして飛び蹴りみたいな格好)、JT、モスキート、エアウォーク、インディー、ジャパン、ぱっと思いだせるのだとこんな感じだ。
ロックンロール、色んなプラント、壁を使った技もよくやっていた。
中学の3年間、スケートボードをしている時だけは毎日楽しかった。
その当時の自分は、定時制高校にも進学できないほどの学力しかなかったのだが、スケートと出会い、達成する喜びを感じ、注目をされ、もっと巧くなりたいと思うようになり、色んなことを克服したいと思うようになって中2から勉強をし始めるようになった。
学年でも最下位レベルだったのが、中3の頃にはクラスでも3番くらいをとれるようになり、先生方はあまりの変貌に毎日びっくりしてことの成り行きを見ていたという。
偏差値でいうと30いくつから62くらいまで上がったと記憶している。
そして僕は絶対に私立には行けなかったので、実力よりも一つ低くてやや良い普通の都立高校に進学をすることができたのだが、それもこれもスケートのお陰だ。
その後はしばらくスケートとは離れて生活をしていて、挫折も経験しながら芝浦工業大学へと進学をすることができた。


自分にとってスケートボードは遊びじゃなかった。
道だった。
大切なことを学んだ。
救われた。

そういう思いがあるから、今でもデッキを身の近くに置いている。

ミドルエイジでもオーリーがまだまだ出来ることは宝物。

2015年10月20日火曜日

2015 10/16 『血行を』

徐々に寒くなってきた。
今月頭くらいまではパンイチで寝てたけど....
朝4時、まだ暗い居間のカーテンを開けると朝ぼらけ前でまだ暗い。
しーんと静まってちょいと寒い....やかんに火をかけて、甘ったるいコーヒーミルクを1杯2杯と飲んで読書をする。
相手は文藝春秋の芥川賞2作品、ネアンデルタール人と私たちは交配した、江戸の大名屋敷...そんな時間が心地よく、あっという間に6時をすぎる。
ストレッチをして、洗濯がめんどうなので、まだ薄着のロングスリーブ1枚もしくはその下にTを着て、タイツははかずにショーツ一枚で家を出る。
人通りもまばらなホテル街、風俗街を抜けて6~7kmほど走って汗をかくが、手先は冷たいままだ....「いつ頃からランニンググローブをつけるんだっけかな?」と去年を思いだしてみるが、まったく憶えていない。
そうこうして日が経つにつれて、一昨日は3/4丈のランニングタイツとハイソックスを引っぱりだしてみたところ、久しぶりでなかなか快適にゆっくりと走れた。血行促進、疲労軽減やらはたぶんあるのだろうがよくわからないことには変わりはないと思いつつも、立ち仕事の人やよく動く仕事の方にもハイソックスはいいかもなと思う。血行がいいと何かと調子がいいだろうし....流用してみるのもいいかもしれない。

2015 10/6 『VAZEE RUSH』

ニューバランス秋冬モデルのVAZEE RUSH。
フィットネス~フル(サブ4、フルマラソンを4時間切って走ること)まで対応しているモデルだそうで、特につま先が従来よりも捲れ上がっているとのこと。
これは足をスムースに運べる、抜けることができるそうだ。
自分のような速くない人、町をあちこち走ったりする(急な坂道や階段もあるし)にはなんだかとても良さげな製品だ。
実際に今履いているシューズで一番走りやすいのは、このつま先がわりと上がっている製品だし。

先日、皇居で履いている人をみかけて、走りやすそうだなとしばらく眺めていた。
走りやすそうかどかは人それぞれだからよく分らなかったけど...

VAZEE FEEL THE NIGHTレポート

しばらく新しいシューズを買ってなくて、あれこれ見ている最中、コレいいなと。ちょっと派手だけど、普段履きでも大丈夫だしラクに動けると思う。
というか、モデルがいろいろありすぎでワイズサイズやカラーも考えると、よく分らなくなって結局また今度でいいかとなるし。

朝晩、ちょっと寒いくらいになってきたので走りやすいし、何よりも清々しいですね。

ふと思いだしたけど、25年前の高校生の頃にオッシュマンズでセールで買って、いつも履いていたニューバランスのモデルが分らなかったけど、574グレーだったような気がするなぁ....数年ぶりに履いてみようとして引っぱりだしたら加水分解を起こしててボロッボロに分解しちゃって、楽しい高校生活や、鎌倉や葉山に遊びに行った昔の淡い思い出とかもコラプスかのようだった。

昔のことを思いだすとその時によく履いていた靴も一緒に思いだす。
高くていい靴は持ってないけど、靴それぞれに想いでが詰まってて、やっぱり靴っていいなと思う。

2015年10月5日月曜日

2015 10/3 『早朝のチリコンカン作りからの、秋晴れの暑い皇居へ』

酒をほぼ飲まずの2日目、朝4時半起床、チリコンカンを作って朝メシを。
一仕事して読書して....
で、昼にチャリで皇居へ。

蝉が鳴いてた...
暑かったけどとても気持ちが良かった。
脚もよく動いた。

2015 9/28 『中秋の名月ウォッチングウォーキング』

便利なツールがたくさんある現在の豊かな暮らししか知らない自分は、かつての不便だった時代がどれだけ大変だったか想像もできない。

裕福ではなかったが、自分がチビの頃には白黒テレビからカラーテレビに移り変わり、エアコンもあったし、自転車もあった。
しばらくするとファミコンやウォークマンも世に現れ、電子的な時代へと流れが大きく変わった。
それから十数年経つと、一家に一台のパソコン時代だ。

かつての人々、江戸時代の人々は一日に30~40kmも歩くことが出来たというのは、便利なエンジン搭載車両や自転車もなかったためで、自力で移動するしかなかったからだ。
自分がチビだった頃の高齢者はよく「歩くのはイヤだわ」と言っていたのは、幼い頃まだ不便な生活をおくっていたからだろう。

10km歩くのと10kmランニングするのでは疲労度が違うが、自分は後者の方が脚は疲れない。
ふだんあまり歩かない人だと、10kmを歩くと脚が棒のようになるのではないだろうか。
一日に30km~40kmほどランニングしたことはあるが、それだけ歩けるかといったら相当辛いような気がする。
江戸時代の人々はほんとうにすごい脚を持っていたのだなと改めて感心する。

週末は晩飯食べたあとに夜ウォーキングを。
ちょうどいい気候でとても気持ちがいいもので。
昨晩は月明かりが眩しく、かつての人は薄暗いローソクの炎と月明かりで晩を過ごしていたんだよなと。隙間の多い家屋、冬はそれはそれは大変だったのだろう。
快適すぎる環境に慣れてしまったが故に、様々なコトに対する対応能力も低下し、ある種の感も忘れてしまったのかもしれない。
ガンの臭いをキャッチすることができる犬、大災害がやってくることを前もってキャッチして逃げる動物....大昔の人もそんな感を持っていただろうと思う。

月明かりの元で便利な携帯を2人共いじって、自分は便利なfbにポスト。
名月を見に来られたおばあちゃんと会話をして、それもいいものです。

2015年9月25日金曜日

2015 9/25 『暑い休み』

SW、暑くて気持ちが良かった。

あちこちで執り行われている例大祭でもって賑やかだ。

しかしまぁよく食べよく歩きよく走りよく飲んだなぁ、楽しかったなぁ....



うんうんと思ったこちらの記事...

アラウンドフォーティ、40歳前後でやたらと筋トレしたり運動にハマったりする人が多い、なんでだろう?とかつてよく思っていた。
それは至ってシンプル、身体の衰えを感じはじめて少し動いてみたら思っていた以上にイイものだった、効果があったからということだろう。

ガッチガチのボディになりかわった松本人志も40歳前後でボクシングを初めて、たばこを手放してみて、今ではベンチプレスで120kgも挙げられるまでエライことになった。
長渕剛もひょろひょろだった“とんぼ”時代から、いつしかゴリゴリの身体に変身していて、それは驚いたもんだ。

自分も35歳の頃にたばこを手放して、ランニングを生活の中に取り込みはじめたら、予想以上に身体が気持ちが良くて(身体=頭、精神も)、とにかく疲れにくくなったからだ。

今年に入ってから10代の頃に必死にやって楽しんだスケートも再開して、とにかく気持ちがいい。
この年齢になって、あんなに不安定なスケートに乗ってトリックをメイクする....これは一コケしたらエライ怪我につながる非常にあぶないことでもあるが、高さは少し低くなっても今でも滑れる体力とテクニックを持っていることに自信が生まれ、それによって精神的にもとても気持ちが良いというこにつながるのだ。
30歳前後の頃までは怖いなと思ったことはなかったのだが、今はちょっとこわいなと一瞬思うことがある。
平衡感覚や筋力の衰え、脳みそから筋肉への神経の伝達は今までどおりだが、筋肉の反応と動きが鈍くなって「アブナイ」と感じる。アブナイ指令が出るのは当然のことだ。
目の筋力の低下、身体全身の筋力の低下をアラフィフで感じはじめるが抗うことなく、その低下を認識して慰める=運動をまたやってみることが精神と身体にいいと、栄養、身体貯金となるのだろう。
また柔道をやってみようかとか、新たに空手とかキックボクシングを習ってみるのもいいかもなと思いはじめている自分がいることにまた驚いている。
そんなにいろいろ出来ないのが現実だけども...

話がそれたが、中年なのに華麗に滑れたり、バリバリ滑れるというのはいいものだ。
そういう中年スケーターの友のVをFBなどで観ていると実に楽しい気分になる。

歩くことができる、走ることができる、いろいろ動くコトができる、それはお得なこと、資産になると思えるようになるのだと思う。
ウォーキングして7km10km移動する時も、妻に「良かったじゃないか、歩くことができてさ~」と、歩くのが大の大っ嫌いだったこの自分の口からふつうに出てくるのだから、老いがもたらしてくれた上物の産物だ。

秋の夜長、週末は晩飯を食べて晩酌して、夜の町をうろつくのも新しい発見があっていいものですよ。

2015年9月15日火曜日

2015 9/1 『Dワイズ』

ニューバランスの公式オンラインショップで取り扱いのある、欧米で展開しているブルータブコレクションだろうか、ブラックカラーで存在感のあるモデルがある。
素敵で欲しいけど、ワイズがDサイズのみの扱い...
欧米人の足の幅は狭くて長いので、このDサイズが一般的だという。
日本人の一般的なワイズはEEサイズで、D<E<EE<EEE<4Eという順番に幅が広くなってくる。
草履のような足も多い日本人の中には4Eの人もかなりいる。
自分は25.5cm、3Eで草履ルックの足、縄文人的なフォルムだ。
いつも買うシューズは26cmのEEサイズでつま先に少し余裕がある感じで選んでいる。
とても欲しいが、ランニングシューズとしてはサイズが3つも違うとかなり狭く感じる。普段履きだったら27cmにすれば問題ないのだが....
実際に履いてランニングしてみないと分らないが、窮屈で痛くなりそうだ。
欲しいのにサイズがないのはもどかしい。

今日は防災の日。
関東大震災から92年経ったという。
これから災害に遭うことは避けられないようだが、減災に努めることは出来る。
3/11以来、自分はあまりブーツを履かなくなっている。実母を助けに行く時にとても役にたったから。
DTの松ちゃんが、以前ラジオで枕元には靴を置いて寝ていると言っていた。地震がきて床がガラス片まみれになって足をケガしたくないからと。
とても心配性のようだ。。
ま、なるべく歩きやすいシューズを家や仕事場に置いとく方がいいですね。
5つのランニングシューズの手入れもたまにはしよう。

2015年9月1日火曜日

2015 9/1 『防災の日、下町風な』

いつのも夏は9月の半ば、ちょうどあちこちで例大祭がある頃くらいまで残暑が続くが、今年の夏はお盆すぎから秋になった。
今朝も寒くてしかたがなかった...
残暑はもうないのだろうか...ちょっと寂しい8月最後の日。
8月初旬、ベランダは45℃を表示していた。毎日の水シャワーが気持ちよ過ぎだった。
なんだかもう懐かしい感がある、ガリガリ君から一転して熱々の豚汁だし。

さて、豊島区や板橋区や北区の台地にある地域はどことなく下町の雰囲気があると言われる。実際に下町だと思っている人や下町の商店街のどこそこと書いてある書物もたまに見かける。これは、大正の関東大震災で被害に遭われた下町の人々が郊外であるこれらの地域に引っ越してきたから、そういう下町(神田や日本橋や東の地域)の匂いや雰囲気があるのだという。たび重なる江戸の大火事で下町からこの郊外へと移住してきた人もいたのだろう。下町から台地を上がったすぐの本郷から先は江戸郊外で、罪人はもう江戸には戻れなかったとも...そういう下町の人が定住したことも関係があるのだろうか。
....なるほどと思った。そして今日は防災の日。

豊島区のお米屋のショウケースの中で寝ていた下町風な巨漢の彼女をガン見してたら、目覚めてぐるっと遠回りしてやってきた。
額や頬を押し付けているこの甘えている風な仕草は、どうやら違うのだと最近知った。
頬には臭線というのがあって、人には分らないわずかな臭いをテリトリーにこすりつけていて、お前は臭いがちがうからワシの臭いをつけてやる、これでお前はワシのものだ、これで安心だ、というのだと。
飼い主の風呂上がりに、こすりつけてくることもよくある。おっ臭い臭い、なんで違う臭いになるんだよ、グリグリ、これでワシのもので安心。
...というのだそうだ。
大昔、猫2匹買ってたけどそんなことは知らなかった。

しゃがんだ脚にものすんごくこすりつけてくる....どうやら自分はこの下町風な巨漢の彼女のものになったようだ。

2015 9/1 『ぶり返してみよう』

今日は防災の日、過ぎ去った夏をぶり返してみよう。

今まで経験したことがないくらい暑い日が続いた。
梅雨の晴間から一気に明けて、気温もぐんぐん上昇した。
8月になると、それは一段とヒートアップして、忘れもしない8/7、都内は38℃を記録した。
もう一日中ぐったりしてたのを憶えているが、それは夏風邪に似たような症状が出ていたのもある。
うんざりする暑さの次の土曜日、朝外へ出るとなんだかすごく涼しく感じたのも憶えている。ふたりして「わぁ〜快適だな、涼しいよね」と。

まぁ、とにかく8月第一週のあの熱さ、暑さは今後もっと増えてくるのだろう。
老いてくるのにより大変になってくるというわけだ。
と、お盆休みはまだ比較的暑さもやわらいだ感があり、お盆明けからはずいぶんと過しやすく感じる日も増えて大分ラクだなと思ったもんだ。
そして一転、先週はずっとくもりに雨で肌寒いというより寒いと感じる日もあった。長袖スエットと短パンでちょうど良かった。
2−3週間で気温差が14℃〜17℃もあるのだから、身体が追っ付いて来ないのも仕方がないだろう。
となると、危ないのでしばらく走れていなかったが、ちょいちょい再開することが出来るようになった。それでも暑いことには変わりがないから6分30秒/kmくらいのゆっくりジョグだ。

先週は一気に気温も下がり、ようやく走れる日も増えて、ペースも上げることができた。
10kmを56分56秒、これは自分にとってはこの時季、まぁまぁよく脚が動かせたという感じだ。
雨が続いていたが、少しの雨上がりの間に走ることも出来たが、結局雨に当たることもあって、この雨なのに走るなんておかしいでしょ、みたいな顔で見られる、そう勝手に思っているのだが、走っている途中で雨になってきてしょうがなく帰路へと急いでいるだけなのだ。
これは走られている方ならあるあるだろう。
昨日も、東京アメッシュをちょくちょくチェックして、雨上がりで大丈夫そうな雲ゆきの瞬間にランニングを。
しかし走り始めて4kmくらいから雨が降りだし、雨脚も強くなって、家へと引き返すもびっしょりに。商業施設で雨宿りしていると、下から上をじろりと女性に見られたが、やはり「アホでしょ、この雨の中」と目が言っているような感じがしてならない....ま、どうでもいいのだけど。
ただ雨の中、身体の熱がこもらないので走りやすいのは確かだ。
なもんで、この一週間で49kmを走れて、心身共に気持ちがいい。

もうあの酷い暑さにはうんざりだが、残暑なき今年の夏、夏生まれなのでちょっと寂しくも感じる。

2015年8月31日月曜日

2015 8/25 『いつもの朝』

もうエアコンは要らない気温になった。
上着を着て寝ないともう朝は寒い。
家(SRC 鉄骨鉄筋コンクリート)よりもベランダの方が涼しい、逆転現象を迎えた。

一ヶ月半ぶりくらいだろうか....いつものように朝JOGがやっとできた。
出だしの最初は寒いくらいに感じて、汗もそれほどかかずだった。
6~7kmが疲れもなく気持ちがいい、ちょうどいい距離。

それにともなって、久しぶりに食べたソーセージマフィンの朝メシが実においしかった。
主に朝ランしている人はどんな朝ご飯を食べているのだろうか。
妻が作ってくれたハムエッグ的なものか?、みそ汁に納豆+何かおかずだろうか?、適当に自分で焼いたパンとかだろうか?
周りにランナーがほぼいないので、ぜんぜん分らないのだが...

Nike+ Runningが何かお知らせをくれた。
よくわからないが、ゲーム的な感じがやはりおもしろい。
何かアイコンが出ていたので触れてみたら、何か言っている。
耳を近づけてよく聞くと...

「 走ると心も強くなります。
目指せ最強の自分。
安田美沙子でした。」

と、熱い安田美沙子が熱く話していた。
色んな方が何か話してくれるのだろうか。


タモリさんは毎朝7kmのジョグをしていることは有名。
西野カナさんは深夜によくJOGをしているという。
B'z稲葉さんはタモリさんほどではないが走っているという。
これは去年のMステでのジョギング談義の様子だ。

夏の間はいつもの朝JOGが出来ていなかったので、今日は気持ちが良くてしかたがない。

2015年8月24日月曜日

2015 8/24 『飲酒ウォーキング』


33℃の炎天下の中、ウォーキングで上野まで誕生祝いでうな重を食べに。
レモンサワー片手に飲酒ウォーキング、2本を消費....なかなか気持ちがいいもんです。

団子坂を下って、今は消滅した愛染川を渡り、坂を上っていくと、全生庵というお寺がある。

ここは山岡鉄舟と三遊亭圓朝のお墓があることでも有名だ。
好きな武士のひとりでもある山岡鉄舟、少し前にランニングしててたまたま入ったこの全生庵にお墓があるとは驚いたものだ。

8月中は三遊亭圓朝が怪談噺の参考に収集した幽霊画を全生庵で公開している。via
並行して、芸大で「うらめしや~、冥途のみやげ」展も開催されていて、こちらもかなり面白かったと妻が言っていた。via
ちょうどこの日は圓朝寄席が行われていた。

境内にある激暑な休憩所でぐったりしてしばし休憩、で、上野の山へ。

あっというまに到着。
木陰で涼んで、うなぎ屋へ。

この日はFunnerというアプリケーションを初めて使ってみた。
これにはランニング、自転車、ウォーキングと3つのモードがあるので、試してみたかったから。
計測距離は7kmとなかなか正確で、軌跡をよくみるとNIKE+runningアプリよりもなかなかいい精度だと分った。
1時間30分の使用で15%とバッテリーを結構喰うけど。
で、ウォーキングなのに消費カロリーは570kcalとなっているけど、これはどうなんだろう....そんなに??
10kmのランニングとほぼ同じだけど....

アメ横の二木で買い物をして、RUNNING SHOPへを物色。
とにかく大汗をかいた。
帰りは冷えに冷えた電車で。
ほとんど休憩せずに約3時間うろうろして、もうぐったり。
この日はトータルで10km以上は歩いた。
いい運動になりました。

と、そんな暑い夏もこの日で終わったように日曜日から涼しい。
あっという間に梅雨が明けて、猛烈に暑い夏が始まったと思ったら、もう秋の気配。
38℃を記録したあの日、ほんとうに辛かったな。。
動きやすいのはいいけど、夏の終わり、ちょっと寂寥感が....この時季に生まれたからだろうか。

2015 8/18 『夏』

もうすぐ終わる、夏。

うちには壁掛け式の扇風機がある。
これがなかなか優れものでエアをよく拡散してくれるので、かなり涼しいのだ。
まだ物凄く暑いけど、そんな夏も終わりに近づく一昨日の夕方、扇風機が壊れたとTELが入る。
羽を留めている真ん中のプラッチックのネジが劣化でクラックが入ってもうだめだと。
出先から池袋へ向って、一時間ほど待つ。
TELが入って、到着とのこと、「じゃぁZARAの前で」
残り少なくなっている壁掛け式扇風機と惣菜を買って、戻る。
しばらくして、画面から「池袋で車が突っ込む」と、目に入る。
妻と目が合った。
その場所その位置は自分達が待ち合わせをした所だった。
「助けられたんだよオレら、そう思おう」
合掌。

何か特別な出来事があると、「守ってくれた」とより思うようになった。
今までを振り返ると多々ある。
感謝。
そんなお盆のある一日。

2015年8月14日金曜日

2015 8/14 『ポカリスエット』

今日はとても涼しく感じる、これも麻痺なのか....久しぶりに氷川神社に立ち寄ってお参りを、1H10km遅いペースのJOGができた。

30年とちょい前、実母は今の自分と同じくらいの40歳くらいだった。
その当時、浸透してきてチビに大人気だったポカリスウェット....「買ってきたよー、ポッカリ!」、「ポッカリ」「あるよーポッカリ!」、「ポカリだって」「?ポッカリぃ?」「いや、ポ・カ・リっ!」....そんな会話が続いて、家族3人笑顔が溢れて楽しかった。

その当時、東京ディズニーランドがオープンし、実母は「東京デイズニーランド行きたい?行く?」と....「デイズニーじゃなくて、ディだよ」「ディエ?」「ちがう、ディ!」「デエッ?」「ちがう、ディ!」「お母さんどうしても言えないなぁ〜(苦笑い)」
....大分の女だからか??方言的な言葉遣いもあるのだろうか?時代的なこともあるのだろうか?、よく分らないけど、とにかく言いづらそうだった。

最近では、座薬のことを「ざいあく」と、まるで罪悪かのように言う....けど、なんとなく分る、座薬は痛みが酷い時に使って身体への負担が大きいから。。

夏の公園でポッカリスエットを飲んで、母のことを思って。

2015年8月13日木曜日

2015 8/13 『昨夕JOG』

路上にどっさり横たわる八日目の蝉をよけて進む。

交差点に住む額が出っ張ったおじさん、グーピーグーピー寝ているその姿、どうしても絶滅したホモ・エレクトスに見えてしまう....この暑さ大丈夫だろうか、最近姿を見かけなくて心配。
特定整備路線にかかるのに、国有地からデベロッパーへそして分譲されたたくさんの住宅を見学をする若い夫婦と子供....なんとも言えない気持ちに。
向こうから来る我が子を乗せたチャリ乗りスマフォのお母さん、よけるのはこっち。
歩道のど真ん中でふんばる愛犬、お尻から直キャッチしてるビニル袋片手のお母さん....ブラウンにはマーキング的な意味がないのだろうか。
前をゆく素敵なスキニー白パンの女性に目を奪われてしまう、それは良いことだ。
身体を冷やすために公園の蛇口を3つひねるもすべて熱っ。
・・・そんなことを思ったり見たりして走って、見上げると空は秋っぽくなってきていた。

2015年8月11日火曜日

2015 8/11 『ベランダは45℃』

先日、ベランダに温度計を置いてみたら45℃と表示された。これが色の濃いアスファルトだったら50℃は越えていることだろう。この日の都内は37.7℃を記録した猛烈に暑い日だった...
板橋区でこの酷く暑い日に高齢者3人が亡くなった。
彼女たちはエアコンが好きではないということと、家に詐欺師が訪問し、財布を盗られたことで日頃から警戒して窓は閉めっきりにしていたという。
そんな詐欺師の悪い行いの結果でもあるのだ....良いあの世には行けないことだろう。

さて、こんなにも猛烈に酷く暑い日が続いているとあぶないので走れていない。
体温が上がりすぎて、走れても2−3kmで限界だ。なので、週末にウォーキングをしている。
そして、今年の夏はいつもと比べてめっきり食欲が減退していて、胃がムカムカしたりもする。昼にはごはん一膳食べるにでもやっとという感じだ。暑さには慣れているが、どうやら夏バテか夏風邪的なものかもしれない。気をつけないと...

今日も青い空に強いフォルムの白い雲が浮かんでいる。
自分が子供の頃の夏よりも、夏が酷くなってきているともうはっきりと感じる。
この先、未来の夏はいったいどうなるのだろうか。



2015年8月4日火曜日

2015 7/27 『猛暑の日』

セミの鳴き声を今季初めて聞いたのは2週間前、梅雨の中休みのように晴れたと思ったら、なんだか一気に真夏になった。
目にする℃が30から一気に36、列島はエンジ色に染まって、通りすぎる人々はみなびっしょりだ。中には恐ろしいほどベッチョベチョの人もいる。
通りすぎる人に愛想をいつもふりまいている毛むくじゃらな真っ黒野良猫もこんな暑さじゃもうぐったり。

内陸部では40℃に達することもあり、今日は一番暑い日となるでしょう、厳重に警戒してくださいのアナウンス....なくなった米5kgを抱えて、でかいリュックには肉野菜どっさり背負ってテクテクと2kmのポーター。
その後は、スイカとぶどうを取りにきて欲しいというので、ピックアップ。
炎天下、スイカを背負ってテクテクと2kmのポーター、のどを潤す焼酎ハイボールがうまいももうぐったりだ。
ジジジジィ~....ミンミンミンミンミーンミーンミンミンミー、何も悪くない彼らの鳴き声が癇に障る。

一日いったいどんだけ麦茶を飲んでいるだろうか...

こんなにも暑い日曜日の日中にランニングをしている人を何人かみかける。
早朝や夜間に走れないという人だろう。
日中の皇居もロードランナーもさすがに早いペースで走っている人はほぼいない。
自分も1kmあたり7分~6分半のゆっくりペースで日影を走っている。
公園の蛇口で冷やす、立ち止まって休憩、その繰り返し。
向こうから来る人、ビッチョビチョどころじゃないほどずぶ濡れの男に、目を細めて少し避ける。
屋台で買ったであろう焼きそばが地面に散乱して、鳩とスズメが夢中で食べている、こんなにあったら腹一杯だろう。
死にそうな顔でゼイゼイハァハァのランナーとすれ違う、すごいふくらはぎをしている。
家を持たない人、遊歩道で仰向けになって泥のように眠っているその姿、自分にはホモ・エレクトスかのように映る....冬季よりも痩せて、大丈夫かなと心配にもなる。
ブルゾンを着こんで座って寝ている人、大丈夫かな...人は我を忘れるくらい大変な思いをしていると体温の感覚が麻痺してくると、幼い頃に実母が言っていたと思いだす。
ハンパない量の買い物袋を何袋も車道に置いている爆買い中国人ファミリーを横目に、涼しい店内で小休止、寒い寒い。
上空、鳩の生暖かい落とし物の直撃に遭って、公園の蛇口で脱いで洗うも、目の前すぐソコには猛烈に臭いトイレ、口で息をする。
交番の前を通る、アゴを上げた若い警察官がジロっとこちらを見る、なんだか無性にイヤな感じだ。
追い越すママチャリの席からチビが顔をだしてこちらをジッとずっと見ている、どこが気になるのだろうか。
牛歩のように前を歩く散切り頭のおじさん、長袖のネルシャツもズボンも汚れ、目が座っている、町を彷徨っているのだろうか。
マセラティが唸りを上げて人通りもある大きな交差点を爆走、良い姿を披露したいのだろう。
車に引かれてしまった可哀想な鳩がすぐそこに、隣で信号を待っているチビが「なんでハトさんこわれちゃったの?」。
前を歩くセクシーな白パンの女子に目が奪われる、それが男の性だ。
こんなク◯暑い真夏の都内、東京5輪のマラソンは危なすぎるんじゃないのか、バタバタとランナーは倒れるんじゃないかと、体感してそう思う。
フィニッシュ、あっちの樹こっちの樹からミーンミンミンミーミーンミンミンミーミーンミンミンミーミーンとセミが鳴きわめいている公園のベンチでレモンサワー休憩、鳩が足元にものすごく集ってくるも、今は全身の塩とレモンサワーしかないからどっか行ってくれと心で思う。

どうでもいいことを思って結局何も考えてなく、どうでもいいことをこうして書いている。
それがその人それぞれのランニングスタイルだ。

2015年7月21日火曜日

2015 7/19 『梅雨明けの皇居』

朝5時半、IKEAで買った温度計は30℃と表示していた。
ク◯暑いと思いきや、うちは風が通るのでそれほど暑さを感じない。それと、もっと暑い中をちょくちょく動いているので暑さに身体が慣れているってのもあるだろう。なので、エアコンが効いた室内が寒くて寒くて仕方がない時がよくある。

久しぶりに皇居へ向った。
思ったよりも走っていて、ロングタイツをはいている人が何人もいた。
ゆっくりと走りはじめるも2−3kmでなかなかキツくなってきて、ペースをさらにおとす。一周してバテバテ...冷やす飲むをくり返して回復、あと一周だけと、さらにペースをキロ7分半くらいまでおとしてフィニッシュ。身体が火照っているので、十分に冷やして帰路へ。
家に戻る。そりゃ暑いわけだ、梅雨明けと知る。

2015年7月15日水曜日

2015 7/14 『江古田古戦場』

子供の頃から東京に住んでいる方は豊島氏、その名を必ず聞いたことがあるだろう。
豊島氏は平安時代から室町時代に南武蔵(今の東京都らへん)を支配していた武家で、現在の東京都北区豊島町が発祥の地だとされている。

そんな豊島氏、石神井城主の豊島泰経ともう一方の勢力である江戸城を拠点としていた太田道灌が激戦を繰り広げた場所が、現在の江古田・沼袋で、哲学堂公園そばの江古田公園に江古田古戦場の碑がある。
妙正寺川と江古田川が合流し、地形的にも起伏があるので、戦いをするには都合が良かったのだろう。
結果は太田道灌が勝ち、豊島一族は敗北し、石神井城・平塚城(北区 平塚神社)・練馬城(としまえん)は落城し滅亡する。
長い間、豊島氏の強い力でもって、のどかな地方だったのが太田道灌によって荒らされてしまったとも言えるのだ。

豊島氏は紀伊国(和歌山)から熊野権現を勧請し、郡内に多くの熊野神社を設け、その最大のものが王子神社(王子権現)で、自分のルーツのひとつは和歌山で、かつて王子に10年ほど住んでいたが、氏神様は王子権現であり、その前の幼少期に住んでいた町のそばにも熊野神社があって、今でもよく通るので月に1回はお参りしている....こういうのをご縁というのだろう。

10.0 km   1時間05分41秒  走りました 9.1 km/h (06'34 /km)
2.0 km  歩きました

2015 7/11 『ライフガード酎ハイ』 

ずっと歩けば鎌倉へ行ける鎌倉道....上池袋〜雑司ヶ谷 法明寺・鬼子母神の参道をぬけて〜目白不動〜神田川 面影橋 山吹の里伝説 『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき』〜西早稲田、いいとこだなぁ、通るたびにいつも思う。

走った直後のビタミン7つ入一石二鳥ノーライフガード、あんまりうまくない。

9.070 km   54分31秒  走りました 10.0 km/h (06'00 /km)

2015年7月11日土曜日

2015 7/9 『NIKE+ running アプリ』

NIKE+ running アプリケーションを使いはじめて2ヶ月が経った。

ウォーキングが3-4回あるので、ランニングは20回ほど計測したと思う。

1kmの最高記録は04:33、つまり1kmを4分33秒で走れたということなんだけど、走らない人にはまったく分らないことなんで、イメージ的に言うと、信号が変わっちゃう!っておもいっきりダッシュする時に近いかな....そんな感じのような気がする。
このくらいの速度だと1km走るだけで精一杯、心拍数が上がりすぎてあぶないというところ。
酒もぜんぜん飲んでなくて調子がイイと、1kmあたり4分30秒のペースで6kmくらい走れたことがあった。

まぁ分りにくいですね。
ふだんJOGをしていない人が、じゃぁ走るかとあまり息があがらないペースだと、1kmあたり7分~6分くらいじゃないかな。

まぁそれはおいといて、

このアプリを2ヶ月ほど使ってみて、なかなかの誤差がある時がある。
走ったコースの軌跡を拡大してみると、ちがうところを走っていたり、カクカク走っていると計測されている。
この前、いつもの7.2kmのコースを試しにこのアプリで計測してみたら、8.04kmと計測されていた。
誤差は約1kmで、なかなかだ。

エラー発生、バグ、計測不良もちょいちょいある。
計測中にその記録が飛んでなくなったり、3kmくらい走って計測したら、5時間走ったと記録されていた。
20回中、エラーで中断とかも含めると計測不良は約5-6回くらいだったかな。

ここらへんはアップデートで改善されていくのだろう。

そんなこんなであまり精密じゃないけど、ゲームしているような感覚でおもしろい。

2015 7/7 『代官山の古墳と鎌倉街道 中道』

旧山手通り、ハリウッドランチマーケットの斜め向いに猿楽塚古墳がある。

ここにあるこんもりした築山は、6~7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
ここにはその円墳が2基あって、その二つのうち高さ5mほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
ここにある2基の古墳の間を初期の鎌倉街道が通っていて目黒川へくだっていました。
渋谷区にように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。

この塚、古墳には現在、猿楽神社が造営されている。
絵馬には合格祈願や愛している人への想いが綴られている。
静かな境内に時おり響く人の笑い声が、何とも都会らしい。

代官山のど真ん中に、1400年前の古墳があるとは、ショッピングをしている人のほとんどが知らないかもしれない。
ヒルサイドテラスのオーナー、朝倉家の尽力によって今も存在しているのだろう。

もうひとつ古墳あって、対になっているらしいが、副墳の存在は分らなかった。
この2つの古墳の間を通るのが鎌倉街道だという。
写真一枚目の左側の道がそうだ。
鎌倉街道:古道としての「鎌倉街道」とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。

写真下から2枚目、目黒川を渡ってきた鎌倉街道は写真のあたりからグッと曲がり、古墳の間を抜けて、現 旧山手通りを渡り、一番下の写真の道へと続いている。
一番下の写真の道は、ハイスタンダードやオクラなどがあり、代官山でも昔から人通りが多い道、聖林公司ストリートだ。
今も昔も変わらずに、古道には人が集り通って繁栄しているということだ。
まぁ、だから今でも残っているのだけど。

この先の鎌倉街道は、オクラのところで一部消滅して、ちょい先の現 八幡通になり、並木橋交差点で渋谷川を渡り、金王神社前、青山通りから表参道、表参道の伊藤病院とAPPLE STOREの間をとおり、まい泉青山本店前、外苑西通りを渡ってその先は千駄ヶ谷から新宿御苑真ん中をぬけて明治通りの一本裏あたりをとおり、神田川を渡り、雑司ヶ谷、東池袋へ、R254帝京平成大学池袋キャンパス横をとおり、明治通りになり、西巣鴨交差点のファミマ&ネットカフェの建物の裏に続く。
一部は消滅しているが、開発が激しい都内でも今でも鎌倉街道は残っている。 しかも、代官山~青山あたりなんかは昔からまぁよく通っている道だし、池袋から西巣鴨の道も便利でたまに使っている。

長い年月を経て、新しい道がどんどん増えても、古い道は変わらずに便利ってことだなと思う。
その証しに、今でも人通りや車の通行量が多いなと、通ってみるとよく分る。

ちなみに、この鎌倉街道は中道というルートのうちのひとつだという。

【過去記事】
幕末を巡って
散歩JOG
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
案内標識と庚申塔
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
代官山の古墳と鎌倉街道 中道

13.360 km   1時間19分44秒  走りました。

2015年7月1日水曜日

2015 7/1 『ZARA ランニングタイツ』

 ZARAってスポーツウェアの展開をしてたんだ。
池袋のZARAはたまに行くけど、無かったんだけどなぁ。

このロングランニングタイツ、フロント両サイドにポケットがあって良いわ。
けど、ボディコンシャスのタイツ一丁スタイルはちょっと...だけど、サイズがM,L。
SもしくはXSサイズがあればな〜

2015年6月30日火曜日

2015 6/29 『STRONG 根津神社へ』


梅雨の晴間の日曜日にはランニングで根津神社へ。

ランニングでどこそこ...という書き方、意識しているわけではないが、ふと思うとやはり、シューズを履きシューレースをギュっと結んで向うことはシューズが移動のツールとなっているんだなと思う。
自転車でどこそこへ、バイクでどこそこへ、電車でどこそこへ....エンジンがついてるかついてないか、走っている人でも走ってない人でも、何だかよくわからないかもしれないが、自分にとってはそんな感覚に近い。

さて、昼すぎに出て、2-3kmくらいでもうバテバテ。
まぁ息があがって辛い。
日影をゆっくりと走るも暑い。。
帰りは電車で良いからと、脚を進める。
何とか到着、半年ぶりかな。
家族がもう何年も近くの病院にかかっているので、お礼を。
感謝しかありません。

巨大なオレンジ色の鯉を見下ろし、しばし休憩。
鳥居、ここは前は有料だったような気が....
写真2枚目...境内には「徳川家宣胞衣塚」として、第6代将軍・家宣の胞衣(胎児を包んだ膜と胎盤)を埋めた塚がある。当地が甲府藩邸であった時に家宣が生まれたことに由来する。
写真を撮るのを忘れたが、本郷通りと旧中山道(国道17号)が分れる交差点、本郷追分にあった道祖神がこの根津神社に移されて祀られている。
日本橋から一里目(約4km)が本郷追分、二里目が板橋駅手前、三里目が志村坂上、四里目が荒川をこえてすぐの蕨....
日頃からランニングをしていると、距離というものが身近に感じるようになる。
ど真ん中の日本橋からわずか16kmほど旧中山道をテクテク走っていくとそこはもう埼玉県だ。歩くと3-4時間かかるけど、ムリせずにリズムよく走っていけば一時間半くらいだ。って言っても、信号があるので2時間半くらいだろうか。

あとにして、上野へ向うも、ヘトヘトになりつつで、谷中へ。
ストアでSTRONG ZEROペプシを。激しい運動をすると最初は糖分をエネルギー源にするので、本当はZEROではない砂糖たっぷりのオリジナルが良かったんだけど、はんぱない強さの炭酸でちょい元気になる。
信号でちょいちょい脚をとめて、戻ってこれた。
なかなか疲れて、こんなの久しぶり。
運動時の暑さにまだ身体がなれてきていないのだろう。
公園で、STRONG ZERO 9%と共に休憩を、これまたウマイんだわ。

NIKE + runningのアプリケーションでは12.52km、時計では11.05kmと1.5kmほど差がある。
前者はゆっくり歩く時も計測されるが時計はされない....にしても、だいぶ差がでたのは精密さのちがいもあるのだろう。
前者のルートのログをマップでみると、かなりざっくりしてて、そこは走ってないけど、みたいなのもあるし。
時計の方は、計測スタートして最初の1kmはだいたい1分ほど速く計測される。6分/kmくらいで走っているのに、5分/kmくらいで記録されて、そのあとはほぼ正確に計測されるんだけども。
走っている人だったら、そのスピードの差はなかなかのものだから体感でいやいやいやぁ~ちがうちがうと分るんだけど...感覚的には車を運転してて、40km/hと60km/hの目やスピード感覚の体感でわかるように、そんな感じにちかいんですよね。
NIKE + runningのアプリケーションはエラーもたまに出て計測が止まる。
ま、どれもこれも個性があってちがうものなので、壊れにくければまぁいいや。

2015年6月26日金曜日

2016 5/5 『代官山のド真ん中にある古墳』

代官山のど真ん中、ハリランのお向かいに都内では貴重な古墳がひっそりとある。

今から1400年前に造られたお墓で、開発が激しい渋谷区に残されているのは奇蹟的。ヒルサイドテラスオーナー 代官山の名家 朝倉家のお陰だろう。
現在、古墳には猿楽神社が造営されていて、絵馬には合格祈願や愛している人への想いが綴られている。

13.360 km   1時間19分44秒  走りました 10.1 km/h (05'58 /km)

2015 6/11 『東池袋』

サンシャインや造幣局の裏あたりの東池袋4-5丁目は開発の真っただ中。
とても細い路地が入り組んでいて、住宅がひしめき合っている。
ここは空襲でも焼けずに残ったために、昔ながらのそのままの状態が残っているという。
空き家も放置されているし、ひとたび火が出るととても大変な地域だ。
都電の線路際にはこれから高層のマンションがあちこち建つ予定だという。

そんな東池袋4-5丁目、中央図書館は新しいビルの中4-5階に移転して、とても立派になっているが、いかんせん通常はEVのみでしかアクセス出来ないのが使いにくい。こういう新しいビルはしょうがないけど、階段は非常時に使うものになっているので、立ち入り禁止の貼り紙が。
EVが地震で止まっちゃったらイヤだからなんだけど、7階くらいだったらあまりEVを使わない。東日本大震災以降、特にそう意識するようになった。
先日の立て続けに大きな地震が起きたが、六本木ヒルズ 森タワー 52F、EVが止まって来場者がしばらく下りることが出来なかった。非常階段も安全が確認できないから使えないというなんだか意味がないことが起きた。
EVに1-2時間も閉じこめられるのはほんとゴメンだ。

話がそれたが、東池袋5丁目に日の出優良商店会があってその中に『ミート&デリカ なりたや』さんがある。食べログ
ココは庶民の味方....久しぶりに通ったら、ショウケースに佇むブラウンなぶ厚いビジュアルの 名物だという 黒毛和牛入りメンチは、なんとおどろきの50円!と目に入る....えっ?!と立ち止まる....そりゃ頂きますよね。ずっしり重くてさらにびっくり。
商店会の活性化、街の再開発で大変なことが多くあるのだろうか、抗う強い意思のような想いを感じて。
って、そりゃそうだ、肉肉しいぎっちりなメンチではなかったけど、これはこれでヘルシーな味がして美味しかった。

そして、東池袋一丁目はブランズウイック付近(ボーリング場などが入った複合施設)、ビルしかなくて人通りも激しくて、特に若い子らがたくさん闊歩する通りに、ただ一軒だけ一戸建て住宅が建っている。
周囲は立ち退きだと思うが、駐車場になっていて、住宅へは10m以上の長いアプローチを通らないとならず、緑が印象的だ。
もちろん現在も生活をされている。
池袋駅前にまだ闇市がどっさりあった頃からおそらくお住まいなのだろう。
なんだか力強さを感じて、いつまでもお元気でといつも思って通る。

豊島区役所も移転し、今後は造幣局も移転しまた町の姿が変わっていく。
よく買い物に行っていたスポーツアパレルのBODY MAKER池袋店が撤退して不便になったが....
なにかと物騒な事件も多い池袋だが、中心よりちょいと外れたところにとても良いものがあります。

9.030 km   57分20秒  走りました 9.4 km/h (06'21 /km)

2015 6/11 『検査』

ワシがかつてチビだった頃、朝一で四つんばいでケツを実母差し出し、青いフィルムを転写....妙に恥ずかしかったのを憶えている。
検査にひっかかる子らは、虫くだしのチョコを食べるのが日課になるのだ。
30年以上前、毎日遊んだ砂場にはブラウン地雷がどっさり潜んでボクらを攻撃してきた。それはそれはしょっちゅうキャッチしたもんだ。
夜、銭湯できれいになろーぜ!と徒党を組んで団地の横道を闊歩して、たびたび大きめワンコか?の巨大なのを踏んで、縁石や小石を巧みに使い除去し、公園の蛇口でうまいことソール部分だけに水を当てて総仕上げだ....って言っても、帰宅すると顔を歪めて「あ”ぁ~踏んだなぁ~お前!」と実姉。帰宅した実母はそんなのを見てクタクタ顔、今でも忘れない。
...今の公園の砂場にはフェンスが張り巡らされて、小動物は、ってもほぼ野良ニャンコだろうが、だいたい立ち入りができなくなっている。校庭にある砂場にはシートがかけられてディ~フェンスをしている。何でもかんでも抗菌抗菌の時代、これからはもう青いフィルムは消滅するという。
今でも忘れないこのふざけた天使の笑顔を、ありがとう。

浅草神社へ 10.40 km   57分25秒  走りました 10.9 km/h (05'31 /km)

2015 6/9 『東池袋遺跡』


案内チラシより引用...

現在のあうるすぽっと周辺は東池袋遺跡として、豊島区の遺跡に指定されています。
この東池袋遺跡は、江戸時代のはじめ頃の旗本中西家の屋敷地をおおむねその範囲としていますが、1719年(享保4)に屋敷地は東西に分割され、「御鷹方御役屋敷」が1864年(元治元)まで設けられました。
屋敷地が分割された享保年間といえば、徳川吉宗が将軍となり鷹狩を盛んに行うようになった時期です。
文献資料によれば、この屋敷地には、20戸前後の鷹匠の屋敷と、鷹匠同心の長屋が建っていました、
鷹を飼育している「御鷹部屋」は、現在の雑司ヶ谷霊園にあり、職場として住まいは区別されていました。
東池袋遺跡では、これまで幾つかの発掘調査が行われていますが、主なもの簡保検診センター地区、東池袋4丁目再開発地区の2つです。
これらの発掘調査では、御鷹方の屋敷地であった時代の遺構や遺物のほか、旧石器時代や縄文時代の遺物もみつかっています。

....地図をみると、広大な屋敷があったのはグリーン大通り、豊島岡女子学園、東京福祉大学池袋キャンパスらへんのようだ。
写真撮ってしばらく見続けていたら、人だかりが。
若いパパママさんが、覗き込んで「めっちゃ色ちがう!」って。

かつて、東急ハンズ裏あたりから水が溢れ出し、東池袋から護国寺そして神田川へと水窪川が流れ、メトロポリタンホテルあたりから水が溢れ出し、雑司ヶ谷をから護国寺そして神田川へと弦巻川が流れていた。台地を流れる川のそばにホモサピエンスが集り生活を営んでいた。
開発で区役所にタワマンが立ち並び、ガラッと姿を変えた地域だが、縄文時代から現在まで、ココら辺はとても住みやすいということだ。


8.320km

2015 6/8 『運動を兼ねた日曜日の買い物』

日曜日、朝一でウォーキングで家電屋へ。
実家のエアコンが壊れたので、なるはやでとの連絡、代わりに見て買って欲しいと。
3つ見てまわってよーく話を聞いて、連絡とってその製品でいいと了解を得て、一旦家へまたウォーキングで戻って、途中でムラサキでスケートボードに使う部品を買って、帰宅。
で、駅まで荷物ピックアップして、今度は電車で家電屋へ。
3日後に工事OKとのこと。
買って、お会計....これまた時間がかかって。
その足で、今度はシーリングライトを買って、デパ地下で甘エビとメバチマグロとビンナガマグロとメンチカツを買って、クタクタ気味で電車に揺られ帰宅。

遅い昼メシを食べて、ここからは別行動で妻は結局、工事当日に業者に渡さないとならない券を渡しに電車にゆられて実家へ。
自分はスケートボードを組み直して....足りないビスを買いにホームセンターへ。
買いに行く途中に、図書館へ“アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人”を返しに。前に借りてた人が一ヶ月返却してくれなくて、待ちに待って....って、この本、4時間で読み終えたけども。なかなかおもしろい本だったけど、アメリカのプリズンはめっちゃくちゃなんだと信じられない内容だった。
で、走って向うこと4km、ホームセンターに到着。
5本欲しかったビス、この手のことはよくあるけど、4本入りで結局8本買うことに。ナットは要らないんだけどセット売りなんですよね。。DOITだったらバラ売りで買えるんだけど。

で、帰路へ。
運動を兼ねる買い物はいいものです。
時間を有効に使える。

レモンサワーを飲みながらスケートボードを組んで。
飲まなきゃ滑れるけど、優位はノドを潤すことだわな。
脚に優しい仕様で滑るのが楽しみだ。

そうこうしているうちに晩飯だ。
甘エビ30尾とメバチとビンナガが¥1000という、日曜日のタイムサービスはめちゃくちゃ安くていいもんだ。
たまにビンナガを食べたくなるんだよなぁ。
とても美味しかったなぁ~

この日はウォーキングを約7-8km、ランニング9kmで、いい運動になった。

2015年6月24日水曜日

2015 6/24 『澄んだ朝』

昨晩は小笠原でまたM6.9 震源の深さ480kmの大きな地震が起きてドキッとした。一ヶ月ほど前の巨大地震は震源の深さは680km M8.1だったが、これの余震だったようだ。何やら深いところで密かに確かに変化が起きているということだ。
そんな昨晩、雷鳴轟きまくりのひどい豪雨だった。開けた土地で雷を回避するには、樹木などから離れて、両脚を閉じてしゃがみ、鼓膜が破れるのを防ぐために耳をふさぎ、じっとしてやり過ごすのがいいのだというが、これまたえらくコワイもんだ....数年前、目の前でバンバン雷が落ちるのを、ちょっと開けて場所で遭ったことがあるが、死ぬかもと一瞬よぎったな。

夜も明けて、清々しい朝になったので今日も朝JOGを。
日射しが強くなってくるとなかなか暑いけど、ゆっくりペースで走るのが気持ちよし。

2015年6月16日火曜日

2015 6/14 『雑司ヶ谷 大鳥神社』

荒ぶる神のいらっしゃる神坂峠に
お供えをして道中の安全と
無事帰還を祈るのは、
自分のためではない。
命を授けてくれた父母のためである。

....と言っている。

日曜日の副都心JOG
10.10 km   1時間00分55秒  走りました。

2015年6月1日月曜日

2015 6/1 『32℃の5月』

5月最後の日は日曜日。
天気も良いし、来客前に副都心往復ひとっ走り。
なんだかものすごく暑くて3kmでヘトヘト....日影をえらんで脚をすすめる。
到着。
ショップをあちこちまわって、帰路へ。
合計13.46km、すんごい汗かいたけど、スッキリ。
ベランダでストロングレモンサワーを、うますぎ。

2015年5月26日火曜日

2015 5/8 『猿楽古代住居跡(代官山)』

代官山の真ん中、住宅街に猿楽古代住居跡公園がある。
かつて仕事の休憩でよく使った公園だ。

このあたり一帯は古代人が居住していたところであろうと推定されていました。
昭和52年1月、渋谷区教育委員会ではその調査を国学院大学考古学第一資料研究室に委託して発掘しました。
発掘作業を行っているうちに出土して来た土器は壺、甕(かめ)、高坏(たかつき)などの破片ばかりでしたが、この土器に付けられた模様からみると、久ヶ原式、弥生町式、前野町式に属し、それらが作られた時期は今から約2000年前の弥生時代で、これらの文化は南関東一帯にひろがっていました。
弥生時代というのは、生活の方法はその前の縄文時代と同じですが、現代人のように米を栽培して食べる習慣がはじまり、文化が進んだ時代といえます。
発掘を進めて行くと、いくつかの住居跡が発見されましたが、中には他の地域でみられる住居跡よりも大型で珍しいものが発掘されました。
区は昭和53年、樋口清之博士の指導により古代住居を復元しましたが、その後焼失したので、現在は住居跡の上を被覆し保存に努めています。

上物は燃えちゃったようで...

この高台の場所一帯に住んでいた弥生人は近くの目黒川や渋谷川へ漁に出かけ、貝や魚なども獲っていたのだろう。
今の町の姿からは想像もできない。
眼下には川が流れ、高台で眺望や陽当たりもよい場所は縄文人も古墳時代の人々も、大名もその後の権力者も好んで住んだように、人々の気持ちは太古の昔から変わっていないということだろう。

縄文時代から弥生時代、狩猟から稲作へと劇的に生活が変わっていった時代。
弥生時代後期には卑弥呼が邪馬台国を支配していたが、今でも邪馬台国がどこにあったかは不明。
吉野ヶ里の九州説か纏向遺跡(まきむくいせき)の近畿説かがクローズアップされているが、考古学者が考えるには、日本の成り立ちと中心は長い時代を経て中心は変わっていくのだという。
大陸との貿易が盛んだった筑紫時代(九州中心)からヤマト時代(近畿中心)に中心が移りゆく間におそらく近畿地方だろうがどこかに卑弥呼がいた場所(国)があったのだろうと。
京都の朝廷、織田信長や豊臣秀吉らの関西地方中心の時代から関東・江戸地方中心のアズマ時代(東京中心)へと中心が移っていった重なりあったその時代の移ろいと同じかもしれないと。

渋谷桜丘から代官山に抜ける裏道、代官山の住宅街の一角にこんな遺跡があるとは知らない人も多いかもしれない。
ヒルサイドテラス内には権力の象徴である古墳があるが、あまり知られていないかもしれない。
何千年に渡って権力者を魅了する町、それが代官山だ。

13.360 km   1時間19分44秒  走りました 10.1 km/h (05'58 /km)

2015 5/19 『三社様』

日曜日は浅草神社へお参りに。
三社祭だ。
自分が結婚式を挙げさせていただいたのが浅草神社。

すごく昔、隅田川で漁をしていた兄弟が観音様を引き上げて持ち帰り、土地の文化人が2人に仏像の功徳を説いて、堂を造って寺を建立し、三人で厚く祀ったことが浅草寺の起源で、その三人を祀ったのが浅草神社。

思ったよりも静かだったような...

浅間神社、浅草神社と被官稲荷神社にお参りして。
混んでいるので時間がかかりました。

浅草にある友が経営するお店“すみお”に寄ろうと思ったけど、浅草神社とお店は真逆にあって、なかなかの人混みも相まって移動が大変....その後の予定もあるので断念。
アーケードを抜ける...
スズメの合唱が...どうやら、装飾の瓦の中に巣を持っているようだ。
ひっきりなしに、in outをしている。

時間がなくなったので、鴬谷で一杯ひっかけて、山手線に乗車。

しかし暑い一日だった。
お陰でおでこがエンジ色に。

昔のお祭りの姿に戻そうとされているのだろうか。
年々お祭りの雰囲気が変わってきている。

10.40 km   57分25秒  走りました 10.9 km/h (05'31 /km)

2015 5/19 『あぶないランプその2』

28年前、晩飯を食べたあとにもオーリー(スケートボードでジャンプ)の練習を延々として、集合住宅に響きわたる音、それはストアに入った飼い主をワンワンワンワンワンッワンッワンとガン鳴きで待つ小型犬のようにうるさかったのだろう...
どこかの窓から「オイ!うるせーようるせ~んだよ!!やめろコノヤロウッ!」とおじさんの声で毎晩中止、いつしかもう練習をすることは叶わなくなった。
ま、そりゃそうだ。

そんな広場にある “あぶないランプその2”
.....勇気を振り絞って飛込んで、おもいっきりスッ転んでケガして、やっぱりあぶねぇなぁ~コレ!って学習したのも、優等生の首根っこ捕まえて「オイ!連立方程式教えろっ」と分らないところを何時間も幾日も拘束して、「もう許してよお願い....これいじめだよぉ~」と、かつて育った家で、そんな申し訳ないことを思いだして。

2015 5/19 『中年スケーター』


80年代にヒーローだった米国スケーターはもう40~50歳ちかくになろうとしている。身体が大きくなっているスケーターもいるが、あまり変わらないスタイルのスケーターもいる。
日本でももれなく、その当時からずっとスケートをしている世代は中年スケーターになってきた。なかには45歳前後でもスケートパークでバリバリにトリックをできるスケーターもいる。誠にすごいことだ!
ふつうに滑れていたけども、かつてのような高さのオーリーをしようと思って、実に11年ぶりに先週のお休みの日に1時間、そして今週のお休みの日にもみっちり1時間練習をして、感を取り戻してきつつあるが、言うことをきかない脚と小脳が憶えている想いが乖離していくさまに戸惑いながらも少しづつふらつきも減ってきて、良い時のオーリー(ジャンプ)を思いだしてきた。なんとも嬉しいことだ。今は約40cmいくかどうかの高さだけど、もうちょい練習すればまだ伸びしろはあるかなと思う。というのも、かつてのスケートボードは今のと比べるととても重くて、高くオーリーするのはとても大変だったけど、今のスケートボードは軽いし、やれたデッキテープをちょい粗めの食いつきが良いのにすれば、まだ高くオーリーできそうだなと身体が反応している。
中年スケーター、ケガせずに、そして楽しくできる時に練習だ。これも高齢化。
...オーリーの練習、地味に見えると思うけども、みっちり1時間スクワットしているのと同じです、これ。全身ずぶ濡れのゼィゼィはぁはぁです。

2015年5月12日火曜日

2015 5/12 『ランニングベストかアームバンドか』

携帯が微妙に大きいのでランニングするときにベストかアームバンドどっちにしようか迷うことがある。
ベストはポッケがだいぶ大きいので携帯のほかいろいろ携行できるので便利だけど、これからの暑い時季は暑くてムリ。
アームバンドは内寸よりも携帯の方がちょい大きくて、伸びる素材だからムリヤリしまって、携帯が取り出しにくいのが難点。なんかちょうどいい大きさと素材の製品が少なすぎるなと...
携行するのがめんどうなので、いつもの朝JOGの時はもう家におきっぱなし。
走っている時にもし倒れたら、どこのだれさん?で身内が大変かもなと思いつつ。

身に付けるものはやはりなるべく小さい方がいいな。