2015年11月11日水曜日

2015 11/11 『スケートとの出会い』

中年スケーターにとってはとても懐かしいデッキではないだろうか。
捨てた人もいるし、自分のようにずっととっておいている人もいるだろう。
インテリアとして飾ってグラフィックを眺めるのがとても心地がいいのだ。
左からHOSOI ハンマーヘッドとその隣のDOG TOWN アーロンマーレーが今から約30年ほど前に自分が乗っていたスケートボード。
ジェフケンダルとランスマウンテンはスケート仲間がくれたデッキで、右端のはZorlac Todd Princeというモデルで、25年くらい前に原宿のオッシュマンズだっただろうか、上野だっただろうか...で、デッドストックとして破格の値段で売られていたもの。
一番上のコンプリートはモデルがよくわからないのだが、今から約20年ほど前に、今でいうところの裏原宿、ネーバーフッドがある通りにSHOPを構えていた友の相棒だった元プロスケーターから戴いたものだ。

滑りはじめたのは中学にあがってすぐの13歳の時だった。
初めて手にしたスケートボードは池袋の丸井スポーツ館で売っていた廉価版のコンプリートで、僕らはすぐに巧くなっていって、もっといいモデルにしようということになり、自分はHOSOIを選び、トラックはインディペンデント、ウィールはたしか...VISIONだっただろうか、ベアリングも良い物にして、あまりの滑り心地の良さに廉価版との差にとても驚いたものだ。
そうすると技もメキメキと上達し、ジャンプランプを自分達でつくるようになった。材は近くの家具工場で要らなくなったコンパネやたる木をタダで貰ってきて、フリーハンドで設計図を描いて初めてのジャンプランプを完成させた。
その後も頭の中にある設計図を元にして大小何台もジャンプランプを作り、隣町の広場の大きい公園に載っけて遠征したものだ。
当時得意だったエアは、メソッド、メソッドからのワンフット、ジュード、マドンナ、ジュード&マドンナ、ロケット、フロントサイドタイトリーエントリー??(フロントサイドをグラブして飛び蹴りみたいな格好)、JT、モスキート、エアウォーク、インディー、ジャパン、ぱっと思いだせるのだとこんな感じだ。
ロックンロール、色んなプラント、壁を使った技もよくやっていた。
中学の3年間、スケートボードをしている時だけは毎日楽しかった。
その当時の自分は、定時制高校にも進学できないほどの学力しかなかったのだが、スケートと出会い、達成する喜びを感じ、注目をされ、もっと巧くなりたいと思うようになり、色んなことを克服したいと思うようになって中2から勉強をし始めるようになった。
学年でも最下位レベルだったのが、中3の頃にはクラスでも3番くらいをとれるようになり、先生方はあまりの変貌に毎日びっくりしてことの成り行きを見ていたという。
偏差値でいうと30いくつから62くらいまで上がったと記憶している。
そして僕は絶対に私立には行けなかったので、実力よりも一つ低くてやや良い普通の都立高校に進学をすることができたのだが、それもこれもスケートのお陰だ。
その後はしばらくスケートとは離れて生活をしていて、挫折も経験しながら芝浦工業大学へと進学をすることができた。


自分にとってスケートボードは遊びじゃなかった。
道だった。
大切なことを学んだ。
救われた。

そういう思いがあるから、今でもデッキを身の近くに置いている。

ミドルエイジでもオーリーがまだまだ出来ることは宝物。

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