2014年6月29日日曜日

2013 9/17 『散歩RUN』


台風が過ぎ去った午後、夕刻前に。

南からの湿った空気でとても蒸暑い日曜日、
本番は明日未明から昼までとの予報。
横殴りの雨風が掃き出し窓を打ち付ける。
13時もすぎれば徐々に回復し、ひとっ走り。

都営三田線は巣鴨ー志村間(現 高島平)がまず最初に開通。
チンチン電車は地下鉄の開業でもって廃止された。
その後高島平ー西高島平も開通し、
西高島平から先は東武東上線に連絡する計画だったようだ。
東武とメトロ(有楽町線)と三田線も連絡していたら、
それはそれで便利だったような気もしないでもない。
ダイヤぐっちゃぐちゃか。

脱線、
中山道の志村坂上駅のところに、志村の一里塚が現存している。
都内で現存する一里塚は北区西ヶ原とここのみで、
大変重要な史跡として指定されている。
日本橋から3つ目の一里塚で、
一番目は本郷で言門通り・本郷通りと旧白山通りの交差点のところ、
二番目は板橋で近藤勇の墓付近の旧中山道のところ、
そして三番目は志村。
距離の目印として約4kmごとに設けられて、旅人の休息の場となっていた。
榎などが植えられて、日影で旅人は疲れを癒していたと。
饅頭やらおむすび、お茶なんか飲食していたのだろうか。

ここから先は台地も終わって低地になっていくが、
その途中に清水坂という坂があって、
街道筋では唯一右側に富士山を望むことができたといい、
うねった急な坂は今もその当時の姿を残している。
荒川が氾濫したら渡れないので、宿や休憩茶屋もあったと。

ながーい坂を下りちゃうと戻るのが大変なので、赤羽方面へと脚を向ける。

蒸暑い風は涼しい風におきかわり快適で脚もよく動く。
気づくと桐ヶ丘団地という都内最大規模を誇る団地群が現れる。
エリンギのようなぶっとい給水塔は団地群のアイコン。
桐ヶ丘団地ととなりの赤羽台団地は建物の老朽化でもって、
スクラップアンドビルドの真っ最中、
団地らしいデザインはもう今となっては廃れたもの、
今の団地のデザインは瀟洒なマンションのよう。
タワーマンションを途中でぶったぎったようなデザインのタワー型団地も
それは住みやすいのだろう。家賃えらい高いような気もするけど….
かつてのデザインの団地、
暗いエレベーターホールにはほぼ高齢者でチビの姿はほとんどみかけない。
それはどこの団地群でも同じような現象がおきているように思う。
チビにかわって猫が闊歩。
シーンと静かな敷地、夜の帳が降りたらそれはちょっと、
いや、知らなければかなりコワイ雰囲気でもある。
臨海地区のタワーマンションしかり、タワーマンションが人気の現在、
窓が開けられてエレベーター渋滞もないならばより快適なことだろうか。
上へ上へと派、地べた派に大きくわかれるけど、
低層のむかしの団地はそれはそれで贅沢な使い方だったように思う。
阿佐ヶ谷住宅なんか住戸へと続く小径は草木でしげって、
個人的にはタワーよりも古い低層の団地郡の趣が好きだけど。
メゾネットだったらなお。
阿佐ヶ谷テラスハウス
阿佐ヶ谷住宅、建替え。
代官山の同潤会アパートには銭湯があったように思うけど、
赤羽台の団地、単身者用は風呂トイレ別で共同浴場があったという。via
星型のスターハウスもあったと。
護国寺の裏にもスターハウスがあるけど、
今となってはとても貴重な造りです。via

テクテクと走って、公園で水分補給水浴び休憩をしていると
ママチャリのおかあちゃんが派手に転倒、
チャイルドシートの娘も横倒し…「ママぁ大丈夫ぅ?・・・」
声も出ずにうずくまる母、娘はウェーンと泣き出し…
膝小僧を少しすりむいたけども、母子共に大丈夫とのこと。
お母さんは脚を少し引きずりながら押して帰路へと…
大丈夫だったけど、心配でしばらく後ろ姿を見届けて。
なにもない歩道でも、ズルッと真横に倒れてたから砂なんかが浮いてたのかな…
メットは必須だと改めて思って、
またアシストママチャリって重いから転倒すると起こすのも力がいります。

緑道を下って行く…
台地の上からずーっとくだった緑道なので、たぶん暗渠になった川跡だと。
緑道が終わったところにノラ猫らとおばちゃんら、
ノラいじりをしているといつの間にかおばちゃんらと談笑。
ここらへん走っているの?という会話から、
あっちからずーっと走ってきたと言うと目が点にびっくりだと。
東京マラソンの話題から
健康ネタ、なんで走っているの?質問には歳を重ねていってもなるべく体動けるようにしたいしなるべくラクでいたからと返答、
猫から団地と高齢者のこと、
夫婦でマラソンしている人も多いわよね、
奥さんはマラソンしてないの?、
季節ネタ時事ネタから、
カラスと猫のエサの問題まで…
元気ねー、女性のような脚できれいだわとかなり微妙な褒められを。
20分くらい話しただろうか、
じゃぁ行くねと、また逢いましょうとーどうもありがとう、と後にして。

走っているとまぁよくおばちゃんおばあちゃんらと話すことになるけど、それも一興。

どんつき、ぶっかると新幹線の高架下。
赤羽駅のちょいさき、
赤羽の八難神社のところに出てきて。
この八幡神社は武蔵野台地のちょうどはしっこ。
神社の境内下にトンネルが掘ってあって埼京線と新幹線が通っている。
標高は20mくらいあるみたいで、
参道は心肺が口からでる級なキツイ坂になっている。
振り向けばすばらしい眺望である。
向こうから色とりどり多種の新幹線がこっちへ向って静かにやってくる。
当然、撮り鉄さんのスポットにもなっている。

蚊に喰われまいと足踏みして、
タイツの上からでもおかまいなしに刺してくる。
ひっきりなしにやってくる新幹線、
多くはE2系だったけど、たまにMAXっていう二階建て。
緑やレッドの新型は一本だけみれたけど。

200系や二階建てに乗って家族が住んでいた仙台に行ったのはだいぶ昔。
牛タン太助うまい。

埼京線よりも本数が多いのだろうか、ひっきりなしにやってくる新幹線、
東日本と東北を結ぶ大動脈、
東北から機関車で上野へはもうだいぶ昔のこと。
SNSの先輩のジョグ仲間は集団就職列車で上野にやってきたという。
北の玄関口である上野、もうすぐ上野と東京がつながって、
北や西への玄関口はもう消えようとしているのかもしれない。
熱海発黒磯行き、はたまた、いわき発小田原行き、
そんなロングランの在来線も運行されるようになるのか、東北縦貫線計画。
上野発の寝台特急は東京発になるのだろうか。

というか、全然埼京線こね~な~と思いつつ、神社をあとにして。

赤羽で呑んだことは何回かあるけど、
近年のうなぎ高騰でもって、あんなに安かったうなぎ弁当は
もれなく今一般的な価格へ。
立ち飲みしながらおでんもそれもいいもの。
日光御成街道沿いにあった同級生の友の家は呑み屋で、
さんざん呑ませて雑魚寝させてもらったけど、
出世払いする前にママが亡くなってしまった。

20数年くらい前までは、中山道から赤羽へと向う時、
途中まで開通して途切れた環八を通ったけど、
朝なんかはもうえらい渋滞でぜんぜん進まない環八であった。
片道一車線、動脈である北本通りの信号はあっというまに青になるので、
環八は当然混むわけで...二輪でもすり抜けはあまりできず大変だった。
で、赤羽駅を東と西と渡るのもこれまた大変だった。
今はもう高架になっているけども、
その当時はまだ一部が高架になっていなくて開かずの大踏切があって。
赤羽から東十条手前までは貨物線に東北本線・京浜東北線・赤羽線という、
そりゃ踏切開きませんね状態で、線路をまたぐのがとても大変だった。
と同時期には、
明治通りの池袋手前五叉路、貨物線と明治通りには踏切があって、
朝の渋滞時に貨物が通るとこれまた大渋滞になって大変だったと思い出し...
東北・高崎線が池袋に乗り入れるにあたって、
貨物線の線路は掘り下げされて立体になって踏切は廃止、踏切渋滞は解消された。
その後湘南新宿ラインも開通するわけだが、
開通当時は本数も今よりも少ないながらも、
赤羽~横浜は一本で行けて大変便利になったものだと感激したものです。

あちこちの路線、開かずの踏切は渋滞の元でもって路線は地下化されて、
たくさん廃止になって、駅も地下へそして線路が撤去されて不思議な土地が出現している。
確かにあぶなくないし渋滞は減るのでいいことばかりだけども、
街をゆっくり走る電車というシーンにはそれはそれの良さがあったけども。

なんだか電車のはなしになっちゃったけど、
起伏とインフラ、
体力を温存しつつ効率よく距離をかせがないようにと地図をみるのは、
昔も今も同じ。
エンジンやモーターを使わないと、
よりラクになるべく効率よく避けられるようにと
地図で起伏を意識するようになった。

この赤羽台の八幡神社のお隣のさきっちょには学校があるけど、
古墳群が見つかって、ずーっと前の大昔はここは中心の場所だったという。
突端には史跡や城跡が多くあるのは安心安全という先人の知恵ということだろう。

新幹線が下を通る八幡様、見晴らしがよくきっつい坂と階段があるけど、
とてもいいところです。

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