2014年6月29日日曜日

2011 4/18 『散歩JOG』


ちょうど良い気候の日曜日の昼...

幕末から近代へ....

・・・・場所は谷中霊園、もう葉桜..

園内には著名人の墓がたくさんあります。一部は寛永寺墓地も含まれている。

ということで、徳川慶喜公の墓へ、えっちらおっちらと....

通のガイドさんが色々と事情を話してくれたので勉強になりました。

本来は仏式なんだけど慶喜公は神式でという希望があり墓石は円墳なのですとおっしゃっていました。フムフム...と。

wiki引用

«朝敵とされた自分を赦免した上、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行なうよう遺言した。
このため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺徳川家墓地でも寛永寺徳川家墓地でもなく、谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳が建てられた。
これは孝明天皇の陵墓が質素であることに感動したためである»

«坂本龍馬は大政奉還後の政権を慶喜が主導することを想定していた[6]。
しかし、慶喜本人が龍馬という人物の存在を知ったのは明治に入ってからであった。
慶喜に限った話ではなく、生前の龍馬の知名度は、維新後のそれに比べて非常に低かった。司馬遼太郎の作品では「大樹(将軍)公、今日の心中さこそと察し奉る。
よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。
予、誓ってこの公のために一命を捨てん」との龍馬の評価が引用されるが、この一文は後年、龍馬と面識がなかった渋沢栄一らによって書かれた『徳川慶喜公伝』で紹介されているだけで、龍馬自身の手紙や史料に出てくるものではない»

...慶喜公は一時期、巣鴨に住んでいたみたいですね。

近代日本経済の基礎を作った渋沢栄一の墓もある。

...園内には五重塔もあったとか...放火により消失。。

園内でのお花見は自粛(墓石の倒壊の危険もある為)をと早々にアナウンス。

大きな余震が起こったら確かに危ないです。

なので、広場で静かに...といった感じで。

・・・・・写真の中に、三角巾を頭にまいている人が写りこんでいるとかいなとか..

その後....京成の博物館動物園駅の駅舎を横目に

...↑この構内にも両手首を垂らした人がいるかもですねのなかなかな雰囲気。

...ローラーのみなさんかっこいいです.....観て少し休憩。

youtube

ビール飲んでガンガン踊っても平気というのも..凄いですね。

...で、西郷どん脇を流し...

山を下って....ここは武蔵の台地の際の際....



.. 池を回ってすぐ向いにある旧岩崎庭園へ....

岩崎弥太郎...六義園も有名ですね。

・・・・色々と巡っていると..龍馬伝をもう一度みたくなりました。

その後、東大の構内、坂道のぼって...

東大...いい場所だよなぁ~と...

安田講堂脇を若干疲れ気味でかわし...

・・・・背後に半透明の人がいるような気がして振り向いて...パシャっと一枚。

そんな日曜日の散歩JOG。

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