2014年6月29日日曜日
2012 8/20 『眺望』
坂と富士山は切っても切り離せない関係
かつては、と言っても自分が生まれるずっと昔、
高い建物もあまりない時代
都内の至る坂で富士山をみることが出来ていたことだろう。
富士見という名がつく坂や町は多い。
十代とちょっとを過ごした集合住宅は13階でも地盤面は周囲よりも高い位置で、
どうだろうか、プラス3-4階分に相当する高さに建っていて、
周囲、ずっと向こうにもそれほど高い建物はなく、すばらしい眺望だった。
窓の向こうにみえる富士山を毎日みていた、それが普通だった。
風の強い冬の日はそれはそれは見事な姿をみせてくれていた。
引っ越す前には写真を何枚も撮ったものです。
...JOGしている時にみつけた新宿区高田にある富士見坂
1980年代まではその姿をみることが出来ていたようだが、今は新宿の高層ビルにとってかわられた、と。夜景は綺麗だろうが….致し方なし。
坂はとても急で、素晴らしい眺望。
...西日暮里の富士見坂、(日暮里富士見坂を守る会HP)
こちらはとても有名...東京の富士見坂と名付けられた坂の中で、
唯一富士山が望める坂、日によっては山頂へ夕日の沈むダイヤモンド富士
をみることができる、と。
しかし、こちらも大久保の高層ビル建設でもって、富士山の姿がほぼみられなく
なるとのこと、高さの低減をしていただくことに期待したい。
唯一でもある貴重な皆の財産の“眺望”を守ることが
大企業にとっても財産になることと思う...違う場と計画で収益を。
都内の富士見坂を全滅させるか残すか….とても重要な問題だと思う。
...日本橋を旅立ち旧中山道で最初の難所だった清水坂、時代とともに名をかえて今の名に至る。この坂は急で、途中大きく曲がることから、街道で唯一富士山を右手に一望できる名所であったと言われている。画
下った先にはトンネルがあり、都営三田線が地下から地上へと出てきます。
・・・リビングには赤富士、笠雲がかかった富士山のポストカード、
たまにデスクトップや壁にも上空からの富士山や、
葛飾北斎の神奈川沖浪裏と凱風快晴を掲げて。
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