2014年6月28日土曜日

2014 5/20『ボクらのホームグラウンド、前谷津川』

中学の3年間は毎日日が暮れるまでスケートをしていた。
ちょい乗りはできる人に限ってスケートボードはスポーツじゃないと思っている。
それはちょい滑れるのはほぼ誰にでもできるから。
特に柔軟性と平衡感覚の鋭さ、下肢をうまく使えるかどうか、そして恐れないある種のア◯な根性が必要で。
ちがうスポーツだけどそれは今のスノーボードシーンからも垣間見られるだろう。
軽くて身体能力の高い友はそれはそれは良いエア(ジャンプ)をしてた。
...そんな僕らのホームグラウンドは前谷津川(まえやつがわ)という今は暗渠になって消滅した川だった。
先日、赤塚に行った帰りに懐かしのホームグラウンドを走ってみて、いろんないたずらやバ◯遊びを思いだしたり、スケート以外ほぼおもしろくなかった中学生生活、よく高校いけたなと。
つねに一眼レフカメラを首から下げて、女子生徒を授業中でも部活でも撮りに撮りまくってたエ◯先生。
とにかく殴る殴るの暴力先生達。
母子家庭の自分に気をつかってか、「おぉ、腕相撲しようぜ!」とよく父親っぽいことをしてくれた小柄で腕力があった美術の担任。
「ぶっちゃん、頑張ってるか!ぶっちゃん、そんなに鞄はぺったんこにしちゃだめだよ、放課後なおそう!」と金属の芯を抜いて熱湯かけたりして、せっかくう すうすにしたのを幅15cmくらいのベニアを鞄の底にセットして復元してちんちくりんしてくれた父のように接してくれていた大好きだった技術の学年主任。 「この幅が分厚い方がいいって、教科書色々入るし格好いいよ〜」と優しい笑顔で言う先生の顔は今でもはっきり憶えている。
ムカつくとすぐに背負い投げで投げに投げまくる超神経質な数学の先生に呼び出されて「俺さぁなんでここにいるんだろうな...はぁ」と吐露し、
「先生が分らないとこを教えてくれるからこんなに成績あがってきたんですよ、オレ高校行きたいし。」と。
かつてはいろんな先生がいてそれはそれでおもしろかったなと思いだしてテクテク川跡を走って。
そんな前谷津川は赤塚新町から沸き出して、赤塚・四葉・徳丸・高島平を経て新河岸川に注いでいる。
この時、川跡を進んでいると地下からゴーツと水が結構な勢いで流れている音が聞こえていた。
今から27年前、工事をしていて中を覗くことができたことがあったけど、その時も意外と水が流れていて小川のようだった、下水だけど。
昭和59年に暗渠となったと書いてあるように、約30年前のことだからつい最近のことに感じる。
池袋でスケートして、台地の上にある東武練馬から谷を下る時に、スケートボードに寝そべって暗闇を何台ものスケート少年が爆滑走してくるのだから、通りがかった住人はびっくりしていた。今思うと半端なく危険でダメなのだが、当時はそれが週末の楽しみでもあった。
消滅した前谷津川がホームグラウンドだったけど、ジャンプランプの騒音で苦情が殺到し、大きな音が出ても大丈夫な高島平団地群の大きな広場へと拠点を移し、ボクらの第2のホームグラウンドは徳丸ヶ原となった。
前からよく言っているけども、気づくと消滅した川跡のところをよく通っている...
小石川、出井川、水窪川、弦巻川、谷端川、蟹川、千川上水とか。
チビの時に住んでいた家の真裏は用水路だった..
今も川沿いをよく走っているけど、何だか“水”にご縁があんのかなと。
画像はこちらからお借りました。

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