2014年6月28日土曜日

2014 1/16 『暗渠をぬけて 水窪川』


宅地開発と共に消えていった川は身近にたくさんある。
交差点の名前が何々橋といったところもかつては橋が架かっていた場所が多い。
原宿~渋谷のあいだのキャットストリートはいわずもがな渋谷川で、今でも欄干がたくさんのこっている。

四谷荒木町~新宿をjogした時に通った今は消滅した水窪川を。

源流は池袋の東急ハンズうらあたりにある美久仁小路という横丁だったという。
かつての池袋は湿地帯で今でも湧水が豊富だという。
水窪川は東池袋から護国寺横をとおって神田川へ合流していた。
護国寺の正面、音羽通りの一本裏の小道が水窪川の跡になる。
付近には鳩山会館や有名なスカイハウスという建物もある。

写真上から2枚目、
左側は小日向台で川跡とはかなり高低差がある。
今でも崖から水がしみ出しているのが見られるけど、
昔は豊富にわき出していたのだろう。
まるでゾウの脚のような見た目の溶け出した何かや、
だれもいない暗い場所と崖を撮りまくっていたら、
ここにお住まいのご夫人に怪訝な顔をされて…上下黒のランニングウエアでヒゲ眼鏡の長髪だからだろうか…
小日向台の崖と音羽通りにたつ大型マンションによって日影がさむくてさみしい雰囲気。

この高低差を利用したスカイハウスは1958年竣工で1番下の写真。
その当時は周囲に高い建物がほとんどなかったからすごくいい景色だったことがよくわかる。
下は水窪川跡で崖に建つスカイハウスは今ではもう目の前にはマンションだらけで、視界を遮断されてしまった。
そして、メタボリズムの理論をそのまま体現したように新陳代謝を繰り返して今の姿となった。
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一番下と下から2番目3番目の現在をみくらべてもらうとよくわかる。
余談だが、日暮里の富士見坂は新築のマンションが建ってしまい、もう坂からは富士山はみえない。いたしかたなしだけど、さみしい。
旧道、街道筋も比較的大きなめな土地は建替え後はだいたいマンション。
時代の流れだけど、古き良き時代の貴重な木造住宅がなくなってゆくのも寂しいものですが、相続の問題でデベロッパーに土地を売ったり、集合住宅に建替えて土地を守っていく人も多い。集合住宅のおかげでそこに住める人が増えるのもいいことであり、繁栄して税収もアップ。

水窪川跡、音羽通りの逆サイドで講談社裏、首都高5号線の下には弦巻川がかつては流れていた。
弦巻川は池袋のホテルメトロポリタン付近にあった湧水池が源流で、
雑司ヶ谷をとおって神田川へと合流していた。
どうやら護国寺へと参道をとおす際に、元は山門前で水窪川へ合流していたのを、分水工事をして神田川へと流したとも。
現在は下水道として暗渠になった弦巻川は2008年に下水道工事中に豪雨がおきて作業員が5名も流され死亡したことがあった。

護国寺へとつながる参道(音羽通り)の左右に川がさらさら流れていて、
昔はすごくいい景色だったことだろう…護国寺の境内、長い階段の上からまっすぐぬける音羽通りをみるとそう思うのです。

徳川慶喜もかつては住んだ小日向台。via
台地で茗荷谷もあって崖の坂だらけで足腰が強くないと高齢者はたいへんだけど、すごくいい町です。

と、走って地形知って土地の歴史を見てまわるこんなコト、
石原良純も走ってこういうことが好きだと、同じことをしていると最近知った。。
Dailymotion、04:48から。via
マツコは、地形の趣味通じちゃうモノがあるんだよねと言った。
石原良純は足の裏で感じるのよ、と言っている。
ま、かつての水の流れを知ることもその土地をよく知ることは資産をうまく守るということにもつながりますね。

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