文京区、東京大学のちょいと先の本駒込に富士神社がある。
拝殿は富士塚の上にあり、江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人(えどはっぴゃくやこう、こうちゅうはちまんにん)」といわれるほど流行した富士講のなかでも、ここは最も古い組織の一つがあり町火消の間で深く信仰された。
火消頭の組長などから奉納された町火消のシンボルマークを彫った石碑が数多く飾られている。
しかし、石碑の彫刻文字の色入れに大失敗してこわくなっている...
しかもあちこちほぼ大失敗している。
拝殿へはかなり急な階段を登らなくてはならなく、下りがなかなかあぶない。
初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、周辺に鷹匠屋敷があった事、駒込茄子が名産物であった事に由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。
一番下の江戸名所図会にも冨士構が描かれている。
拝殿のある富士塚は、3世紀半ばから7世紀の古墳時代に造られた前方後円墳を元にして、その上に造られたと言われている。
この地を治ていた権力者の聖なる場所として後世に伝えられて、1000年後の江戸時代に神社として造営されたのだろうか。
この富士神社がある本郷通り(日光御成街道)を少し北上して行くと、飛鳥山古墳群、十条台古墳群、赤羽台古墳群などがある。
そして、現 西ヶ原に武蔵国豊島郡家、いわゆる役所が創設されて、豊島氏が豊島群を支配した。(御殿前遺跡)
縄文時代~弥生時代~古墳時代(350年~700年)から発展してきて、1477年に太田道灌に豊島氏は滅ぼされるまで、この地域は都市の中心だったわけだ。
穏やかな田舎だった豊島群に太田道灌親子が攻め入ってきて、人々の暮らしを破壊し、めちゃくちゃにしたわけだ。それが支配、治めるということだろうが、いい迷惑としか言いようがないとも言える。
古墳はあちこちにあるが、都内で有名なのは増上寺のお隣、芝公園にある大きな芝丸山古墳だろう。
古墳時代、西部は多摩川沿い、南部の中心は芝、北部の中心は駒込・西ヶ原・飛鳥山・十条・赤羽だったのだろうか。
遺跡といっても、
旧石器時代~縄文時代~弥生時代
古墳時代~飛鳥時代~奈良・平安時代
中世の鎌倉時代~室町時代
江戸時代遺跡
明治時代からの近現代遺跡
と、とても幅が広く、それぞれの時代を知って行くと町や土地の見方が大きく変わってくる。
8.30 km 51分27秒 走りました
【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷戸川源流)
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ボクらのホームグラウンド、前谷津川
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
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自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
池袋 四面塔尊
のぞき坂
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
巣鴨遺跡
城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
駒込富士神社と古墳群
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