2015年2月25日水曜日

2015 2/2 『吉祥寺 榎本武揚の墓』

文京区の本駒込、日光御成街道(本郷通り)沿いに吉祥寺がある。
かつては現水道橋交差点近くに建立されたそうだが、江戸の大半が焼失した明暦の大火などで現在の地に移転したと。
吉祥寺の門前町に住んでいた住民が武蔵野市東部に移住し、吉祥寺に愛着をもっていたために吉祥寺村と名付けて、発展して現在の吉祥寺にいたる。

吉祥寺に幕臣 榎本武揚の墓所があると知っていたので、日曜日の朝にランニング途中に初めて訪れてみた。
【先人たちの底力 知恵泉より】
幕臣として函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗した榎本武揚。
敗北後は一転して新政府の高官となった。
なぜ彼は生き残ったのか。
そこには一つの秘められた思いがあった。
テーマは「負けても生き残れ!」。
榎本武揚ほど波乱万丈の人生を送った人も少ないだろう。
幕臣として、函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗。
敗北後は一転して新政府の高官として登用された。
なぜ彼は生き残れたのか。
いや、生き残ろうと思ったのか。
ともすれば「転向した」と非難される榎本。
その人生を探ると、すさまじい能力と決意が明らかに。
新政府側の人間を感動させた榎本の行動とは?埋もれた榎本の功績に光を当てる。

とてつもない知識欲、たくさんの学問を修めて、処分するにはあまりにも惜しい人材、新しい日本には彼が必要だと、敵である薩摩長州らをも凌駕する先見の明に才能と経験が自身を救ってくれた。
幕臣、武士として敗北し、一回死んだその命、新政府のため日本のために外交官、政治家としてただひたすらに尽くしたと。

「どんな人でもだれかに必要とされている。」
本当にそう思うし、彼の生き方にもとても学ぶことがあります。

二宮尊徳のお墓もありました。(2枚目)

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