2019年12月12日木曜日

2019 12/5 『アスレジャー』

私事であちこち歩いたりして動きまわることも多く、冬でも汗をしっかりとかくので、基本的にアスレジャーのような格好をしていることが多い。
流行りとかではなく、この5年くらいだろうか....自然とそうなっていった。ただ、どこかしらにスポーツ要素が無いものを取り入れて崩して、スポーツマン的なおじさんの雰囲気ではなくなるようにしている。
このサングラスもランニング用にしている。
熱湯でつるを曲げて、顔にぴったりにするとランニング用ではないけど、意外とずれないので、動きやすい。
ランニング等の記録をとっているJOGNOTEというサービスが来年の3月で終了するとのこと。記録を残すのに結構便利なので残念。
他にそういうサービスってあるのかな。

2019 12/2 『黄色』

さて、図書館へ返却にいくついでにランニング。
身支度を整えて、バイカーズシェードをかける。
ロン毛にヒゲなので、ウルトラマンのようなランニングサングラスではなく、バイカーズシェードの方が合っているような気がする。
このKD'sのサングラスは25年前くらいに流行ったもので¥1000もしなかったように思う。いくつも持っていた。
ただ、ノーズパッドが無いので、鼻が低い日本人や自分には掛けにくい。
チープカシオが一時流行ったけど、このサングラスのチープさも結構好きで。
鬼子母神の東京都指定天然記念物の銀杏はもうちょい。
境内にある、たぶん日本最古の駄菓子屋だと思うけど、上川口屋さんには、だいぶ外国人が増えました。
巨木の銀杏から元気をもらえるので、オススメです。

2019 11/14 『立冬』

立冬の晩はよく歩いて、プシュっと開けて喉を潤して。
アルミニュウムに入った鍋の野菜たっぷり 天ぷらそばはずっしりと重い。水は100ccくらい多めにいれて、ほうれん草と卵をインしてコトコトと煮込む。
いやな冬がやってきたなぁと....言葉に出していれば悲しい晩飯となるので、言わない。軟らかめに煮込んで、木の鍋敷きを置いて、こぼさないように慎重にテーブルへ運ぶ。
いただきます....ごちそうさまでした...この間、何分くらいなのだろうか。
やはりアルミニュウム鍋に入ったうどんはおいしい。
いままでいったいいくつ食べただろうか。
二十代の頃は、週に2-3回食べていたような記憶がある。
というか、チビの頃、忙しい母はあまり夜食が作れずに(子供は夕方にはお腹が空くきますからね。定時では帰って来れない日もよくあったから)、週に3回は店屋物の鍋焼きうどんを食べていた。
鍋焼き的なうどんはもう40年しょっちゅう食べ続けていることになるが、飽きることは一切ない。
寂しい心に染み渡る鍋焼きうどんは私の味方。そんなア◯みたいな感情さえも持っている。寒くなってきました。風邪などひかないようご自愛ください。

2019 11/7 『恐竜の世界史』

恐竜は今も生きていて我々と生活をしている。
それが鳥。もう確定でしょう。
歴史はアップデートするからおもしろい。
自分がチビの頃とは歴史が様々変わってきていて、その都度驚くことも多い。
10年前は、我々ホモサピエンスにはネアンデルタール人のDNAは入っていないのが通説だったが、何年か前に、ホモサピエンスにはネアンデルタール人のDNAが1%~4%ほど混じっていることが分った。
近年の技術や解析の発達によって、目まぐるしく過去、歴史が塗り替えられている。
この恐竜の世界史、今読んでいる最中だけど、研究者ってほんと凄いなとぁと思うと共に、文章は細かくも丁寧で分りやすい。
地域史がおもしろいと思って、歴史がどんどん好きになり、もっと遡ってエスカレートしてきている。そういうものなのだろうか。どうだろう。
さて、明日で立冬。
暦では秋は終わり冬へと突入してゆく。
しかし、今日の都内の気温は22~24℃。
しばらくお酒も呑まないとまぁお腹も空くもので、普通でも一合くらいあるほどの海苔唐弁当に、ひと手間かけて大葉入り卵焼きと納豆とシジミの味噌汁を。
食べたら走れ。ただそれだけ。

2019 11/5 『石神井川(音無川)ほとりの王子 料亭 扇屋)』

前の記事でも扱った料亭 扇屋は現在でも営業をされている。
商業施設のビルの一角に、お土産として卵焼き専門のお店になっている。
文化の日、文化財ウィークとも重なっているのだろうか、多くの方が注文をしていた。
石神井川はかつてはよく氾濫を起こしていて、この扇屋がある武蔵野台地の下の低地はひどい被害に遭っていたという。
そのようなことからも、扇屋はよく残ったのではないのだろうか。

11.4km 1時間19分10秒 6:56 /km

2019 10/30 『古写真はわたしたちに何を伝えるのか?(幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川)』

飛鳥山博物館で開催されている“古写真はわたしたちに何を伝えるのか?”展に行った。
石神井川の旧河道で現 音無親水公園(写真一番下)に、今も営業されている王子の料理屋・扇屋のかの有名な写真をはじめ、扇屋の庭や働く女性の姿もあり、貴重な写真がたくさん展示されている。
他には滝野川の紅葉、王子の紅葉などもあった。
現在の扇屋では卵焼きを購入することができるので、手土産にも良いと評判だという。
一番下の写真のカーブの右手に現在の扇屋があり、かつての扇屋が写っている写真とほぼ同じ構図。
現在のこの音無川(石神井川)は度重なる河川の氾濫によって、王子の町が酷い水害に遭ってきたことから、河川の付け替えを行い、飛鳥山の下にバイパスを造り、今はそちらに流している。
なので、かつての音無川は音無親水公園として整備されて、夏場や春のお花見シーズンでは多くの観光客や近隣住民の憩いの場として安全な環境の元、賑やかな環境になっている。(2019.11.01加筆)
展示会は無料で12月15日まで開催されている。
商業目的以外の撮影は、フラッシュなしで可能とのこと。
引用----------------------------
このたび北区飛鳥山博物館は、秋期企画展「古写真はわたしたちに何を伝えるのか?―写された幕末・明治の北区の名所―」を開催するはこびとなりました。
幕末維新期の王子・飛鳥山・滝野川は日本人のみならず外国人の関心を集めた地です。
その名所の姿は、当時の先端技術であるコロジオン写真によって記録され、また意外なほど多くの写真が今に伝わっています。そのなかには、日本の写真史でもごく初期の1859年に撮影された王子の料理屋・扇屋の写真も含まれるなど、浮世絵などの絵画資料とは異なる景観情報に満ちています。
本展示を通じてご来館のみなさまに、幕末維新期の写された名所の姿に触れていただき、地域理解の一助にでもなれば幸いに存じます。
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渋沢栄一も古代の人々も愛した飛鳥山一帯は今でも見所がたくさんあり、一等地はずっと一等地であることを再認識させられる。

11.4km 1時間19分10秒 6:56 /km

2019 10/15 『経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾』

谷中(谷中銀座の入口)の夕焼けだんだんのそばに経王寺がある。
このお寺の山門には弾痕がいくつもあるのは、幕末、新政府軍と彰義隊が上野の山(寛永寺)で闘った上野戦争で、敗走した彰義隊をこの経王寺がかくまったことで、新政府軍に攻撃をされた際にできたもの。
弾痕は歴史好きの観光客によって触られて、エッジは丸くなっている。
そして、下から2番目と3番目は上野の山の上野清水観音堂内に掲げられている上野戦争を描いた絵馬と佐賀藩のものであろうアームストロング砲の砲弾。
現 東京大学(旧 加賀藩前田家上屋敷)に陣を構えた新政府軍のアームストロング砲は不忍池を越えて、上野の山での闘いに加勢した。
アームストロング砲の威力に、旧幕府軍の彰義隊はとても驚いたことだろう。上野戦争はあっという間に終わり、多くの彰義隊が命を落とし、遺骸は野ざらしにされたという。
一番下の写真、最後の将軍 徳川慶喜が晩年撮影した写真がいくつもあるが、上野戦争あお指揮した長州藩の大村益次郎像を撮った写真が有名だが、どのような思いで撮ったのだろうか。とても気になる。(将軍が撮った明治より)

10.74km 1時間20分23秒 7:29 /km

2019 10/14 『台風19号』

気象予報士のツイートにただならぬものを感じて襲来に備えていた。
金曜日の昼すぎにストアへ買出しに行ったら、パンやカップ麺の棚はもうすでに品薄状態だった。
そして晩を迎える....緊急速報メールが大音量と共にばんばん送られてくる。
眠れずにツイッターなどを細かくチェックして、やはり甚大な災害となっていることが分り、朝を迎えると大量の情報を目にすることになった。
胸が痛む映像とは真逆の過ぎ去った青い空....河川は落ちついて静かになり、川や公園には多くの人々がいた。そして、商店街はいつもの普通の姿になっていた。
あちこちぐるっとまわって8kmほど。
そして晩は歩いて晩飯。
ん?ん??...チャーシューが無いぞ....海苔の裏かな?ん?麺の下かな?ん?ないぞないぞ、どこかに隠したか?.....あぁ増税にてチャーシュー無しになったか?・・・いや、チャーシューって結構大事なブツだよなぁ。
チャーシューが無いことを告げると別皿で提供された。前は、ほうれん草増しにしたけど忘れてたこともあった。それだけ、忙しいということでおいしいお店なのだろう。それはそれで良いことだと思う。
じゃっかんバタついたが、濃い濃い家系はやはりおいしい。
でも、かつてはこれにご飯と餃子をつけて丁度良かったけど、今はラーメンだけでお腹がいっぱい....これは加齢ですね、たぶん。
あぁもう大勝軒は麺少なめでないと食べられないかもな....と、澄んだ夜空に輝く綺麗な月を見ながら、少し寂しく思いながら帰宅。
こうして写真をみると、やはりチャーシューがないと寂しいですね。
靴を履き忘れたような感覚かな、どうだろう。
ほんとどうでも良い話。
朝晩はだいぶ涼しくなって.....季節の変わり目、ご自愛ください。

2019 10/9 『今季最後の』

ショートのタイツ・ショーツで走る暑さは今日までかな....今週の土曜日のこと。
日曜日からだいぶ涼しくなってきて、寝やすい環境になった。
しかし、週末はまた酷く勢力が強い台風が関西・関東へと向っている。
大ごとにならないように。
ジョグ後のパークで一杯だけ飲む泡も終わり。
・・・あ、走りながらペットボトルをグラブして水分補給はしているけど。

2019 10/7 『山岡鉄舟 墓と山岡鉄舟居士之賛の碑』

台東区谷中5に幕臣 山岡鉄舟が建立した全生庵がある。
団子坂から谷中霊園へと続く道にあり、山岡鉄舟のお墓には多くのお供え物があり、多くの参拝者が訪れていることがわかる....人気のある武士ですからね。西郷隆盛と勝海舟の会談に先立ち、西郷隆盛に直談判しに敵陣に入って約束を取り付け、江戸城の無血開城に裏で尽力したことはとても有名ですね。武士は食わねど高楊枝、そのままのような方だったのでしょう。
詳しくはこちらを。
そして境内には、有栖川宮熾仁親王の篆書体で山岡鉄舟居士之賛と刻まれた立派な碑がある。
谷中は風情のある下町で、台地の上は寺町であることが特徴の町。
多くの観光客で賑わって通るたびに良いところだなと思う。

2019 9/30 『例大祭』

9月に入って、あちこちで例大祭が。
日頃を感謝して。
賑やかでありワクワクしながらも、これから寒い時季に入っていくという、ちょっと寂しさも感じる。
今月と来月、副都心では盛大なるお祭りが行われている。
観光客も多く、一大イベントだ。
池袋本町の氷川神社、池袋三丁目の御嶽神社にお参りをして、副都心をぐるぐるとジョグ。
ナイキのシューズ、ズームライバルフライも足に馴染んできてより走りやすくなって距離ものびる。強いて言うならば、やはりシュータンが少し硬くて短いのが使いにくい。
水分補給もしっかりととって、全身塩まみれのザラザラも良いものです。
その後、晩飯は熱い熱い広東風五目麺を。
多めに走った後は、よりビールと晩飯がおいしい。
こんなことでもとても幸せを感じる。
いや、こんな具合に動けるだけでも十分に贅沢なことだろう。

2019 9/27 『上野 殉死者の墓』

上野公園から鴬谷駅に向って行くと、右手に殉死者の墓の碑がある。
地図の黒丸あたりの武蔵野台地の縁で崖下には山手線などが崖に沿って走っていて、墓地に入れば眺望は良いだろう。かつての眺望は抜群だったはずだ。
引用---------------------------
慶安四年(一六五一)四月二十日、三代将軍徳川家光が死去した。
その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
堀田正盛(元老中、下総国佐倉藩主)。
阿部重次(老中、武蔵国岩槻藩主)。家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某。
内田正信(小姓組番頭・御側出頭、下野国鹿沼藩主)。家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助。
三枝守恵(元書院番頭)。家臣の秋葉又右衛門。
殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。
江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。
家光への殉死から十二年後、寛文三年(一六六三)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
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義尽くす.....近代でも殉死をする人もいますね。しかし、命がもったいないと個人的には思うが。でも、命を粗末にしているわけではないのだけど。

10.74km 1時間20分23秒 7:29 /km