2016年11月7日月曜日

2016 11/7 『公開された茂呂遺跡』

板橋区の城北公園の向いを通りがかった時に、重要な遺跡である茂呂遺跡が公開されていた。(保存のために、普段は立ち入ることはできない)

茂呂遺跡の前に、群馬県にある岩宿遺跡について触れてみたいと思う。

1946年、岩宿遺跡の切り通しの道となっていた部分に露出していた赤土(関東ローム層)から民間考古学者相沢忠洋により石器が採取され、その後の発掘へとつながった。
太平洋戦争が終わる頃まで、日本列島には一万年以上前の関東ローム層中の石器文化、すなわち旧石器時代に相当する縄文時代以前の文化はないと考えられていた。しかし、1949年9月11日、さきの発見をもとに相沢と明治大学が岩宿遺跡の発掘調査を実施したところ、関東ローム層の中から石器が出土し、日本列島にも旧石器時代が存在することがわかった。
岩宿はその記念すべき最初の遺跡としてよく知られている。
岩宿遺跡では、発掘によって二つの石器文化が確認された。
下層のものは、岩宿Ⅰ石器文化と呼ばれ、基部を加工したナイフ形石器と刃部を磨いた局部磨製石斧を含む石器群で、3万5000年前の後期旧石器時代初頭のものである。
上層の岩宿Ⅱ石器文化は切出形ナイフ形石器などを含む後期旧石器時代後半(2万5000年前)の石器群である。 via

茂呂遺跡は昭和26年3月、「オセド山」と呼ばれる独立丘陵(小山)を通る切り通し道路の断面で、石器などが発見されました。
その後、同年7月に発掘調査が実施されました。旧石器時代の調査としては群馬県岩宿遺跡に次ぐ全国2例目の調査となり、縄文時代より古い旧石器時代の文化が、日本に普遍的に広がっていることが分かりました。
また、この調査で出土したナイフ形石器は、非常に特徴的な形態をしていることから、「茂呂型ナイフ形石器」と名づけられました。 via

重複するが、この丘(茂呂遺跡)の関東ローム層から黒曜石製のナイフ形石器が発見されて、南関東地方で最初に確認された先土器時代遺跡として学史的に有名で、群馬県岩宿遺跡に次ぐ全国2例目となり、縄文時代より古い旧石器時代の文化が、日本に普遍的に広がっていることが分かったという。
良質な黒曜石が採れる場所は、信州や伊豆箱根や神津島などと限られているので、旧石器時代の人々は石を求めて、各地に赴き、想像以上に社会的関係を発達させていたことがわかる。
この発見が決め手だったので、非常に重要な遺跡として、東京都の文化財に指定されている。
貴重な茂呂型ナイフ形石器も見られたし、遺跡にも立ち入ることが出来て、とてもいい体験になった。

Running 11.3km 1時間03分50秒 5:38 /km

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
板橋区大山西町の用水路
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
中板橋のプールと水神宮、練馬城 住宅地にある堀
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷田川源流)
谷田川に架かっていた橋の親柱
不忍池
水窪川
田柄川
ボクらのホームグラウンド、前谷津川
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
玉川上水
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
のぞき坂
巣鴨遺跡
駒込富士神社と古墳群
猿楽古代住居跡(代官山)
東池袋遺跡
庚申塚 巣鴨遺跡
代官山の古墳と鎌倉街道 中道
須藤公園
根ノ上遺跡
稲付川(根村用水と中用水とも北耕地川とも言われる)
田柄川の水源と茂呂遺跡
豊島区の湧き水と池
稲荷台遺跡
赤羽自然観察公園の湧水
公開された茂呂遺跡

0 件のコメント:

コメントを投稿