2015年7月21日火曜日

2015 7/19 『梅雨明けの皇居』

朝5時半、IKEAで買った温度計は30℃と表示していた。
ク◯暑いと思いきや、うちは風が通るのでそれほど暑さを感じない。それと、もっと暑い中をちょくちょく動いているので暑さに身体が慣れているってのもあるだろう。なので、エアコンが効いた室内が寒くて寒くて仕方がない時がよくある。

久しぶりに皇居へ向った。
思ったよりも走っていて、ロングタイツをはいている人が何人もいた。
ゆっくりと走りはじめるも2−3kmでなかなかキツくなってきて、ペースをさらにおとす。一周してバテバテ...冷やす飲むをくり返して回復、あと一周だけと、さらにペースをキロ7分半くらいまでおとしてフィニッシュ。身体が火照っているので、十分に冷やして帰路へ。
家に戻る。そりゃ暑いわけだ、梅雨明けと知る。

2015年7月15日水曜日

2015 7/14 『江古田古戦場』

子供の頃から東京に住んでいる方は豊島氏、その名を必ず聞いたことがあるだろう。
豊島氏は平安時代から室町時代に南武蔵(今の東京都らへん)を支配していた武家で、現在の東京都北区豊島町が発祥の地だとされている。

そんな豊島氏、石神井城主の豊島泰経ともう一方の勢力である江戸城を拠点としていた太田道灌が激戦を繰り広げた場所が、現在の江古田・沼袋で、哲学堂公園そばの江古田公園に江古田古戦場の碑がある。
妙正寺川と江古田川が合流し、地形的にも起伏があるので、戦いをするには都合が良かったのだろう。
結果は太田道灌が勝ち、豊島一族は敗北し、石神井城・平塚城(北区 平塚神社)・練馬城(としまえん)は落城し滅亡する。
長い間、豊島氏の強い力でもって、のどかな地方だったのが太田道灌によって荒らされてしまったとも言えるのだ。

豊島氏は紀伊国(和歌山)から熊野権現を勧請し、郡内に多くの熊野神社を設け、その最大のものが王子神社(王子権現)で、自分のルーツのひとつは和歌山で、かつて王子に10年ほど住んでいたが、氏神様は王子権現であり、その前の幼少期に住んでいた町のそばにも熊野神社があって、今でもよく通るので月に1回はお参りしている....こういうのをご縁というのだろう。

10.0 km   1時間05分41秒  走りました 9.1 km/h (06'34 /km)
2.0 km  歩きました

2015 7/11 『ライフガード酎ハイ』 

ずっと歩けば鎌倉へ行ける鎌倉道....上池袋〜雑司ヶ谷 法明寺・鬼子母神の参道をぬけて〜目白不動〜神田川 面影橋 山吹の里伝説 『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき』〜西早稲田、いいとこだなぁ、通るたびにいつも思う。

走った直後のビタミン7つ入一石二鳥ノーライフガード、あんまりうまくない。

9.070 km   54分31秒  走りました 10.0 km/h (06'00 /km)

2015年7月11日土曜日

2015 7/9 『NIKE+ running アプリ』

NIKE+ running アプリケーションを使いはじめて2ヶ月が経った。

ウォーキングが3-4回あるので、ランニングは20回ほど計測したと思う。

1kmの最高記録は04:33、つまり1kmを4分33秒で走れたということなんだけど、走らない人にはまったく分らないことなんで、イメージ的に言うと、信号が変わっちゃう!っておもいっきりダッシュする時に近いかな....そんな感じのような気がする。
このくらいの速度だと1km走るだけで精一杯、心拍数が上がりすぎてあぶないというところ。
酒もぜんぜん飲んでなくて調子がイイと、1kmあたり4分30秒のペースで6kmくらい走れたことがあった。

まぁ分りにくいですね。
ふだんJOGをしていない人が、じゃぁ走るかとあまり息があがらないペースだと、1kmあたり7分~6分くらいじゃないかな。

まぁそれはおいといて、

このアプリを2ヶ月ほど使ってみて、なかなかの誤差がある時がある。
走ったコースの軌跡を拡大してみると、ちがうところを走っていたり、カクカク走っていると計測されている。
この前、いつもの7.2kmのコースを試しにこのアプリで計測してみたら、8.04kmと計測されていた。
誤差は約1kmで、なかなかだ。

エラー発生、バグ、計測不良もちょいちょいある。
計測中にその記録が飛んでなくなったり、3kmくらい走って計測したら、5時間走ったと記録されていた。
20回中、エラーで中断とかも含めると計測不良は約5-6回くらいだったかな。

ここらへんはアップデートで改善されていくのだろう。

そんなこんなであまり精密じゃないけど、ゲームしているような感覚でおもしろい。

2015 7/7 『代官山の古墳と鎌倉街道 中道』

旧山手通り、ハリウッドランチマーケットの斜め向いに猿楽塚古墳がある。

ここにあるこんもりした築山は、6~7世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。
ここにはその円墳が2基あって、その二つのうち高さ5mほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。
この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。
ここにある2基の古墳の間を初期の鎌倉街道が通っていて目黒川へくだっていました。
渋谷区にように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。

この塚、古墳には現在、猿楽神社が造営されている。
絵馬には合格祈願や愛している人への想いが綴られている。
静かな境内に時おり響く人の笑い声が、何とも都会らしい。

代官山のど真ん中に、1400年前の古墳があるとは、ショッピングをしている人のほとんどが知らないかもしれない。
ヒルサイドテラスのオーナー、朝倉家の尽力によって今も存在しているのだろう。

もうひとつ古墳あって、対になっているらしいが、副墳の存在は分らなかった。
この2つの古墳の間を通るのが鎌倉街道だという。
写真一枚目の左側の道がそうだ。
鎌倉街道:古道としての「鎌倉街道」とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網で、鎌倉幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、鎌倉時代の関東近郊の主要道の意として用いられている。

写真下から2枚目、目黒川を渡ってきた鎌倉街道は写真のあたりからグッと曲がり、古墳の間を抜けて、現 旧山手通りを渡り、一番下の写真の道へと続いている。
一番下の写真の道は、ハイスタンダードやオクラなどがあり、代官山でも昔から人通りが多い道、聖林公司ストリートだ。
今も昔も変わらずに、古道には人が集り通って繁栄しているということだ。
まぁ、だから今でも残っているのだけど。

この先の鎌倉街道は、オクラのところで一部消滅して、ちょい先の現 八幡通になり、並木橋交差点で渋谷川を渡り、金王神社前、青山通りから表参道、表参道の伊藤病院とAPPLE STOREの間をとおり、まい泉青山本店前、外苑西通りを渡ってその先は千駄ヶ谷から新宿御苑真ん中をぬけて明治通りの一本裏あたりをとおり、神田川を渡り、雑司ヶ谷、東池袋へ、R254帝京平成大学池袋キャンパス横をとおり、明治通りになり、西巣鴨交差点のファミマ&ネットカフェの建物の裏に続く。
一部は消滅しているが、開発が激しい都内でも今でも鎌倉街道は残っている。 しかも、代官山~青山あたりなんかは昔からまぁよく通っている道だし、池袋から西巣鴨の道も便利でたまに使っている。

長い年月を経て、新しい道がどんどん増えても、古い道は変わらずに便利ってことだなと思う。
その証しに、今でも人通りや車の通行量が多いなと、通ってみるとよく分る。

ちなみに、この鎌倉街道は中道というルートのうちのひとつだという。

【過去記事】
幕末を巡って
散歩JOG
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
吉祥寺 榎本武揚の墓
大円寺 高島秋帆の墓
明暦の大火と本妙寺 遠山金四郎景元の墓
幕末の幕臣 山岡鉄舟の墓
千葉周作の墓 木戸孝允の駒込別邸
城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
池袋 四面塔尊
新宿に縄文人現る
加賀藩中屋敷跡 旧駕籠町
案内標識と庚申塔
内藤新宿 天龍寺の時の鐘
古道 鎌倉道 別名 椎名町道(兵隊道)
ハッピーロード大山商店街 横道に佇む“命”の碑
代官山の古墳と鎌倉街道 中道

13.360 km   1時間19分44秒  走りました。

2015年7月1日水曜日

2015 7/1 『ZARA ランニングタイツ』

 ZARAってスポーツウェアの展開をしてたんだ。
池袋のZARAはたまに行くけど、無かったんだけどなぁ。

このロングランニングタイツ、フロント両サイドにポケットがあって良いわ。
けど、ボディコンシャスのタイツ一丁スタイルはちょっと...だけど、サイズがM,L。
SもしくはXSサイズがあればな〜