2015年3月18日水曜日

2015 3/16 『上野』

日曜日の夕方ちょい前、ランニングしている時に上野に寄ってみた。
上野の山の入口は武蔵野台地の端っこで高低差があって、桜並木はゆるやかな坂になっている。
この時季の入口には早咲きの桜が花を咲かせている。
ソメイヨシノもあともうちょいだなと“春”を感じることができる。
無邪気にはしゃいで写真を撮っているいるのはコリアン、チャイニーズ、東南アジア系の人々が多い。
プレミアムモルツを片手にべろんべろんになってた東南アジア系の軍団は、スタンディング花見をしてめちゃめちゃ楽しそうだった。
この場所にいつもいるホームレスはこの時季の喧噪ゆえにか、どこかへと移動している。
ゆるやかな坂道の手前にはこれまたせっかちな桜が一部咲いて楽しませてくれている。
そんな賑やかな上野の山だけど、幕末は上野戦争で破れた彰義隊の亡がらがいたるところに放置されていたという。
日本で初めて開かれた駅伝大会は上野 不忍池で周回コースだったと。
かつては馬も走った競馬場でもあったと。
何回も続いた東京大空襲、3/10には一晩で10万人の命が犠牲となった。
家族を失った子供達が上野駅や上野の山にたくさんいたと生き残ったおじさんに聞いたことがある。

東日本大震災が発生した年のこの時季の上野は人があまりおらず、閑散としていたのを憶えている。
あれから4年が経ち、上野東京ラインも開通していつもの日曜日よりも賑やかだったように思う。
たくさんの出来事があった上野、東北新幹線が開通して、多くの特急電車が姿を消し、今ではブルートレインは消滅へと向い続けて風前の灯だ。
東北の玄関口という愛称ももうなくなるだろう。
上野を発って左側に見える車両基地、痛みが激しいブルートレインの客車に、あまり予算をかけられないのだろうなと車窓から寂しく眺めて、尾久駅に到着。
王子駅を右手に流して、モーター音をうならせて東十条駅付近を爆走し、あっという間に赤羽駅に到着、これから先は旅のような気持ちになったもんだ。
うなるモーター音、国鉄時代のあのオレンジと緑色の車両に乗るとなんだか嬉しかったな。
土浦の親戚の家に行く時に乗ったあずき色とクリームの常磐線、上げ下げ窓を開けて、呼吸がしづらいほどに強い夏の暑い風を顔面に浴びて、台に置いた冷凍みかんは母と姉と仲良く食べて旅を楽しんだものだ。

上野初の夜行列車降りた時から青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れはだれも無口で海鳴りだけを聞いている
....どんだけ歌っただろうか。

6.640 km   39分21秒
10.0 km   56分50秒

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