2014年9月25日木曜日

2014 9/24 『新選組 沖田総司 逝去の地』

新宿御苑の横、外苑西通りに大京町の交番がある。

その横っちょに新選組 沖田総司逝去の地の案内板がつけられた。

肺結核を患って戦線離脱し、幕府の医師である松本良順によって、かつてここらへんにあった植木屋さんの屋敷で匿われて療養していたという。
幕府の医師である松本良順は近藤勇とも親交があったので、新選組の隊士らを診ていたと。
ラッパのマーク正露丸、今までいったい何粒摂取したのだろうか....
征露丸のロゴマークには松本良順の顔写真が使われていると。via

そんな内藤町と大京町...
サインにも書かれているが、この鬱蒼としたグリーンベルトはかつて江戸まで上水を供給していた玉川上水の一部で、上水の余剰水をこの先に流れていた穏田川(渋谷川)に流していたという....その名も余水吐(よすいばき)。
新宿御苑のところを甲州街道に沿って流れて、四谷の交差点あたりが玉川上水の終点だったという....多摩川の恩恵。
かつての人々も灌漑用水で水の争いを起こしたように、これからの人々も、爆発的に増えている人類のために水の争いを起こすことになるだろう。

余水吐跡、デング熱のあれで、殺虫剤をまいたというサインがあった。
あちこち緑がある公園とかよると必ずといっていいほど刺されるけど、ほんと大丈夫なのかと....
穏田川(渋谷川)の源泉はこの新宿御苑と今は枯れたという近くのお寺の池で、豊富な水量があったために、原宿のキャットストリートあたりはかつては水田が広がっていて、お米なんかも作っていたという。今では信じられない光景ですね。
渋谷宇田川町、西武んとこをかつて流れていた宇田川を合流して、駅ターミナルの下を流れて、渋谷川は顔を出し、その先は古川とよばれている。

沖田総司逝去の地として、浅草のちょっと奥の方にある今戸神社もうちもそうだと言っている。
これは隊士らを診ていた医師の松本良順がかつて今戸神社に仮住まいをしていたからだという記述がある....真相は知らないけども、先生が住まわれたいたから沖田総司終焉の地というのも分らないでもないような気がしないでもないけども。。

自転車移動でもなかなか気づかない案内板、自治体があちこちに設置してくれていて、地域史を広く知って欲しいと残してくれている。
エンジン付き車両では気づきようがないですよね。。
ゆっくりと町をランニングしているから....走りはじめてその存在に気づくようになってそれぞれの地域史、そんなことがあったんだと、おもしろいなと思うようにりました。

....この日は11kmのランニング。
新宿の十二社のお祭りで、出店してた友の露天に寄ってビールとハイボールを戴いて。短時間の談笑、それもよし。
走った直後、身体に良いわけないけど、気持ちよし。
帰りはもちろん電車、短パンに長袖であれだけど....
しかし寒い一日だった。

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