千川通りと環状6.5号線といわれる鮫洲大山線との交差点を千川通りからまっすぐ進むと一方通行でわりと幅員がある道が続いている。
かの有名なトキワ荘で有名な南長崎という町を通ってさらに進むと目白通りに合流する。
その道に立派な旧家が佇んでいた。なんと江戸時代後期からのものだという。
目を引くその姿にどちらの名家の方かなと調べてみると、南長崎の豪農である岩崎家だと知った。きれいに手入れが行き渡ったその姿、維持されるのも大変なご苦労があることでしょう.....しかし立派です。
江戸時代に現在の東京都清瀬市と文京区の江戸川橋をむすんでいた街道は清戸道(きよとみち)とよばれている。この家が建っている目の前のこの道が清戸道。
一部はそれるが、目白通りと千川通りがほぼそれにあたる。
農村地帯であった清戸から江戸へと野菜などの農産物を売りに行って、帰りには栽培に欠かせないたい肥を積んで戻ったという。野菜街道とでもいえるのか。
その変わらない姿と街道ならではの微妙な幅員でスッと抜けた空と道、江戸の時代の風景を思うことができます。
あちこちの街道筋や古道をゆっくり通っていると、ずと昔から建っている家をちょいちょいみることが出来る。
逆に、古い立派な木造住宅をみかけたらそこを通っている道は古道、昔っからあるということ。
幅の広い道(国道や都道)ではなく狭い道に参道入口があったらそちらが昔からある道でかつての人々の生活道路でもあるということ。
大正昭和初期の木造建築をまだ街道筋ではみることが出来るが、70年後はRCのタイル貼りの集合住宅やガルバリウムやパネル貼りの一戸建てが昔ながら旧家、そういうことにもなるのだろうか....いや、スクラップアンドビルドでもって昔ながらのというべき姿をもたないのが未来の街道筋の表情になるのだろうか...建った当時の流行の建材を身にまとった建物が狭い周期で混在する、それがこれからの街道の姿だろうか。
この日は15kmほどJOG、町中をあちこち走っておもしろい。
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