2015年6月16日火曜日

2015 6/14 『雑司ヶ谷 大鳥神社』

荒ぶる神のいらっしゃる神坂峠に
お供えをして道中の安全と
無事帰還を祈るのは、
自分のためではない。
命を授けてくれた父母のためである。

....と言っている。

日曜日の副都心JOG
10.10 km   1時間00分55秒  走りました。

2015年6月1日月曜日

2015 6/1 『32℃の5月』

5月最後の日は日曜日。
天気も良いし、来客前に副都心往復ひとっ走り。
なんだかものすごく暑くて3kmでヘトヘト....日影をえらんで脚をすすめる。
到着。
ショップをあちこちまわって、帰路へ。
合計13.46km、すんごい汗かいたけど、スッキリ。
ベランダでストロングレモンサワーを、うますぎ。

2015年5月26日火曜日

2015 5/8 『猿楽古代住居跡(代官山)』

代官山の真ん中、住宅街に猿楽古代住居跡公園がある。
かつて仕事の休憩でよく使った公園だ。

このあたり一帯は古代人が居住していたところであろうと推定されていました。
昭和52年1月、渋谷区教育委員会ではその調査を国学院大学考古学第一資料研究室に委託して発掘しました。
発掘作業を行っているうちに出土して来た土器は壺、甕(かめ)、高坏(たかつき)などの破片ばかりでしたが、この土器に付けられた模様からみると、久ヶ原式、弥生町式、前野町式に属し、それらが作られた時期は今から約2000年前の弥生時代で、これらの文化は南関東一帯にひろがっていました。
弥生時代というのは、生活の方法はその前の縄文時代と同じですが、現代人のように米を栽培して食べる習慣がはじまり、文化が進んだ時代といえます。
発掘を進めて行くと、いくつかの住居跡が発見されましたが、中には他の地域でみられる住居跡よりも大型で珍しいものが発掘されました。
区は昭和53年、樋口清之博士の指導により古代住居を復元しましたが、その後焼失したので、現在は住居跡の上を被覆し保存に努めています。

上物は燃えちゃったようで...

この高台の場所一帯に住んでいた弥生人は近くの目黒川や渋谷川へ漁に出かけ、貝や魚なども獲っていたのだろう。
今の町の姿からは想像もできない。
眼下には川が流れ、高台で眺望や陽当たりもよい場所は縄文人も古墳時代の人々も、大名もその後の権力者も好んで住んだように、人々の気持ちは太古の昔から変わっていないということだろう。

縄文時代から弥生時代、狩猟から稲作へと劇的に生活が変わっていった時代。
弥生時代後期には卑弥呼が邪馬台国を支配していたが、今でも邪馬台国がどこにあったかは不明。
吉野ヶ里の九州説か纏向遺跡(まきむくいせき)の近畿説かがクローズアップされているが、考古学者が考えるには、日本の成り立ちと中心は長い時代を経て中心は変わっていくのだという。
大陸との貿易が盛んだった筑紫時代(九州中心)からヤマト時代(近畿中心)に中心が移りゆく間におそらく近畿地方だろうがどこかに卑弥呼がいた場所(国)があったのだろうと。
京都の朝廷、織田信長や豊臣秀吉らの関西地方中心の時代から関東・江戸地方中心のアズマ時代(東京中心)へと中心が移っていった重なりあったその時代の移ろいと同じかもしれないと。

渋谷桜丘から代官山に抜ける裏道、代官山の住宅街の一角にこんな遺跡があるとは知らない人も多いかもしれない。
ヒルサイドテラス内には権力の象徴である古墳があるが、あまり知られていないかもしれない。
何千年に渡って権力者を魅了する町、それが代官山だ。

13.360 km   1時間19分44秒  走りました 10.1 km/h (05'58 /km)

2015 5/19 『三社様』

日曜日は浅草神社へお参りに。
三社祭だ。
自分が結婚式を挙げさせていただいたのが浅草神社。

すごく昔、隅田川で漁をしていた兄弟が観音様を引き上げて持ち帰り、土地の文化人が2人に仏像の功徳を説いて、堂を造って寺を建立し、三人で厚く祀ったことが浅草寺の起源で、その三人を祀ったのが浅草神社。

思ったよりも静かだったような...

浅間神社、浅草神社と被官稲荷神社にお参りして。
混んでいるので時間がかかりました。

浅草にある友が経営するお店“すみお”に寄ろうと思ったけど、浅草神社とお店は真逆にあって、なかなかの人混みも相まって移動が大変....その後の予定もあるので断念。
アーケードを抜ける...
スズメの合唱が...どうやら、装飾の瓦の中に巣を持っているようだ。
ひっきりなしに、in outをしている。

時間がなくなったので、鴬谷で一杯ひっかけて、山手線に乗車。

しかし暑い一日だった。
お陰でおでこがエンジ色に。

昔のお祭りの姿に戻そうとされているのだろうか。
年々お祭りの雰囲気が変わってきている。

10.40 km   57分25秒  走りました 10.9 km/h (05'31 /km)

2015 5/19 『あぶないランプその2』

28年前、晩飯を食べたあとにもオーリー(スケートボードでジャンプ)の練習を延々として、集合住宅に響きわたる音、それはストアに入った飼い主をワンワンワンワンワンッワンッワンとガン鳴きで待つ小型犬のようにうるさかったのだろう...
どこかの窓から「オイ!うるせーようるせ~んだよ!!やめろコノヤロウッ!」とおじさんの声で毎晩中止、いつしかもう練習をすることは叶わなくなった。
ま、そりゃそうだ。

そんな広場にある “あぶないランプその2”
.....勇気を振り絞って飛込んで、おもいっきりスッ転んでケガして、やっぱりあぶねぇなぁ~コレ!って学習したのも、優等生の首根っこ捕まえて「オイ!連立方程式教えろっ」と分らないところを何時間も幾日も拘束して、「もう許してよお願い....これいじめだよぉ~」と、かつて育った家で、そんな申し訳ないことを思いだして。

2015 5/19 『中年スケーター』


80年代にヒーローだった米国スケーターはもう40~50歳ちかくになろうとしている。身体が大きくなっているスケーターもいるが、あまり変わらないスタイルのスケーターもいる。
日本でももれなく、その当時からずっとスケートをしている世代は中年スケーターになってきた。なかには45歳前後でもスケートパークでバリバリにトリックをできるスケーターもいる。誠にすごいことだ!
ふつうに滑れていたけども、かつてのような高さのオーリーをしようと思って、実に11年ぶりに先週のお休みの日に1時間、そして今週のお休みの日にもみっちり1時間練習をして、感を取り戻してきつつあるが、言うことをきかない脚と小脳が憶えている想いが乖離していくさまに戸惑いながらも少しづつふらつきも減ってきて、良い時のオーリー(ジャンプ)を思いだしてきた。なんとも嬉しいことだ。今は約40cmいくかどうかの高さだけど、もうちょい練習すればまだ伸びしろはあるかなと思う。というのも、かつてのスケートボードは今のと比べるととても重くて、高くオーリーするのはとても大変だったけど、今のスケートボードは軽いし、やれたデッキテープをちょい粗めの食いつきが良いのにすれば、まだ高くオーリーできそうだなと身体が反応している。
中年スケーター、ケガせずに、そして楽しくできる時に練習だ。これも高齢化。
...オーリーの練習、地味に見えると思うけども、みっちり1時間スクワットしているのと同じです、これ。全身ずぶ濡れのゼィゼィはぁはぁです。

2015年5月12日火曜日

2015 5/12 『ランニングベストかアームバンドか』

携帯が微妙に大きいのでランニングするときにベストかアームバンドどっちにしようか迷うことがある。
ベストはポッケがだいぶ大きいので携帯のほかいろいろ携行できるので便利だけど、これからの暑い時季は暑くてムリ。
アームバンドは内寸よりも携帯の方がちょい大きくて、伸びる素材だからムリヤリしまって、携帯が取り出しにくいのが難点。なんかちょうどいい大きさと素材の製品が少なすぎるなと...
携行するのがめんどうなので、いつもの朝JOGの時はもう家におきっぱなし。
走っている時にもし倒れたら、どこのだれさん?で身内が大変かもなと思いつつ。

身に付けるものはやはりなるべく小さい方がいいな。