千石緑地は小石川一丁目にある。
かつては七軒町と称し、明治になって小石川林町と改称し、一橋家(御三卿)、三宅対馬守、林大学頭、松平周防守、近藤縫殿助、酒井兵庫助など多くの武家屋敷を合併したという。
林町の由来は、武家屋敷跡地の林、小石川後楽園(植物園)などの樹木の多い地域であったからというものと、林大学頭の屋敷があったので、その林をとって町名にしたとも言われる。
林家は幕府の儒官で、湯島の昌平坂学問所を総括し、儒学の最高権威であったという。
この緑地は、元は一橋徳川家所有の樹林地であり、12代故徳川宗敬氏は、国土緑化推進機構の理事長として活躍され、都市内の自然林の保存に努められ、平成元年10月に、出来るだけ樹林を末永く残すように配慮することを条件に、区に寄付したという。
区ではその意向に従い、都市内の貴重な樹林を保全すると共に、平成6年から、区民の方が自然に親しんでいただけるように、緑地として限定開放しているという。
緑地にはデッキが架けられていて一周することができる。
緑地内にあるムクノキは、区内でも有数の巨木で、写真ではなかなか伝わらないが、ものすごく迫力があり、薄暗いほど樹木が繁っている。
ぐるっと一周、わずかな距離で終わってしまうが、ベンチなどあれば良いのかなとも思うが、この時季は蚊の襲来に遭い樹木を楽しむどころではないか。
緑地の隣、というか大きな敷地の一部が緑地だが、徳川マンションが建っている。
かつて、徳川慶喜が巣鴨に屋敷を構えていたのは、松平家下屋敷があったことや、至近距離にあるこの一橋徳川家の屋敷があったことも関係しているのだろう。
【過去記事】
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8.090 km 55分28秒 走りました 8.8 km/h (06'51 /km)
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