2019年7月16日火曜日

2019 7/8 『板橋区高島平 六の橋のグラフィック』

板橋区高島平、首都高五号線の脚に大昔からある有名なグラフィック。
危険です!スリルとスピード、ルール無視....もう30年以上前からあるんではないかな。高島平警察署公認。
時代遅れのような登場人物にすごく違和感を憶えて、スケートボードで通りすぎたり、トライアルバイクで飛ばしてよく眺めていた。
この先はネズミ取りをやっていることは地元では有名で、空いている道だから、どうしてもアクセルを開けがちになるわけで。
もう30年以上前だけど、荒くれていた高島平と川越街道沿い....暴走族もたくさんいた。
盗んだであろう直管のCBX400Fを探し出せ!という2つ上の先輩の命令でもって、何十人もの同級生総でで、高島平や西台・徳丸を探したことも懐かしい。
毎週末の夜、テレビの音も聞こえないほどの大コール....それを追いかける本官たち。先輩のあとを継ぐ自分たちの世代や、後輩もほぼいなかったのではないかと。いわゆるヤンキーというスタイルが、時代と共に変わっていった過渡期だったのではないかと。
昔っからバイクは好きだったけど、自分とはスタイルが違うから、そういうデザインのバイクはあまり興味がなかったし、族ステッカーを買わなければならない押し売り状況もよくあったけど、いつも断っていた。「普通は買うんだけどな...困っちゃうんだよオレが」といわれたけど、母からもらった大切なお小遣いを好きではないデザインの¥5000のもするステッカーには、その行き先には提供することが出来なかった。
母が懸命に稼いでいくれたお金、お小遣い.....母にも同級生にもごめんね、という妙な気持ちになったもので。この時点で囲まれて、いわゆるリンチ的なことになるんだが、自分の場合はなぜか何もなかった。手を出しにくい相手だったのだろう。
その当時はタイマン大会っていうものが流行っていて、20人以上の不良に囲まれて、じゃんけんで負けたか勝ったか忘れたが、嫌な殴り合いをしなければならなかった。
意味が分からない出来事、それも地域性や時代だったのだろうか。

そんな何とも生きていて実感がわかない、糠に釘みたいな状態の13歳を過し、当時の偏差値は36だった。先生の面談では定時制高校も行けない状態だと飽きられていたが、出来ない自分に嫌気がさし、優秀な同級生の首根っこを捕まえて、さっぱりわからなかった連立方程式などを軟禁状態で無理やり教えてもらった。 逆いじめとも言えるのだろうか、どうだろう。今でもごめんね、ありがとうという感謝しかない。
その頃に出逢ったのがスケートボードで、勉学にもやっと感触がつかめるようになり、普通の都立高校に入学が出来て、これまたおもしろい気のおけない仲間ができ、今でも強い繋がりが続いている。
そんないつものスケートボードの親友も世を去り、いつもの仲間の友も先日他界した。
早くに逝った友も多い。
これからもしっかりとたくさんの経験をしたいと改めて思っている。

直管にしたトライアルバイクってのも、より遅くてそれはそれで楽しかったのを、このグラフィックを見て思いだすんです

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