2015年2月3日火曜日

2014 12/12 『目白台 台地の屋敷』

1枚目の写真は目白通りから新宿方面を見る。
激しく急な坂の下には神田川が流れていて、
とっても見晴らしが良く、富士見坂とよばれている。
ビル群が建っていなかった昔はすごい眺望だったのだろう。
この高台は目白台とよばれて、
台地はちょうど南に面して遮るものもなく、
陽当たりも眺望も抜群だったがゆえに、
屋敷を構える権力者が多かったのだろう。

2枚目の赤丸部分、
田中角栄邸がある。
角栄邸前を通る目白通りと
その先につながっている関越自動車道を使えば
故郷まで一本で帰れるとも言われる。

2枚目の青丸部分、
現在の椿山荘の土地は
長州藩士 奇兵隊 国軍の父 山縣有朋邸跡で、
本人はこの土地をとっても気に入っていたという。

2枚目の黒丸部分は
早稲田大学でこの土地は神田川に面する低地にあって、大隈重信邸跡。
政治家であり教育者でもある大隈重信、
庶民や学生にも親しみやすい方だったのだろうか。
一方、国民に人気がなかったともいわれている山縣とその山縣邸や、
圧倒的で善くも悪くもの田中角栄とその角栄邸は
大隈重信や庶民が暮らす低地を見下ろしているのだろうか、
と、そんな構図にも見えてしまう。

3枚目の青四角部分、
目白駅をはさんで西側には、
貴族政治家 公爵の近衛篤麿(第34-38-39代 内閣総理大臣 近衛文麿の父)が邸宅を構えた土地。

3枚目の黒四角部分
すぐ近くには尾張徳川家 徳川義親邸があり、
現在も高級住宅街 徳川ビレッジとして存在して有名。

3枚目の緑四角部分
崖に面しておとめ山公園があるが、
江戸時代にこの一帯が徳川家の狩猟地で
一般庶民は立ち入りを禁止されていたために、
おとめ山は御禁止山と書かれるそうだ。
そういう土地の縁もあって、
麻布富士見邸(現、駐日フランス大使館)からの景観に
煙突が増えたことを嫌った夫人の為に
昭和初期に目白へ引っ越してきたのだろう。

patagonia日本の第一号店として
目白の住宅街にオープンしたのはかれこれもう25年前だ。
オープンしてすぐにピンク色のシンチラと赤いスイムショーツを買い物に行った。
買い物客が通る道沿いにストアがあるのではなく、
あえて目的地となる店(デスティネーションストア)として
存在させるという考えからだと。
決して安くはないその価格、
環境に優しく品もあるアウトドアウェアメーカーだなと、
そして渋谷とかではなく、なんで目白の住宅街に出店したのだろうと思ったが、
高級、品のあるというイメージ戦略だったわけだ。
で、その通り、とりあえずpatagoniaを着ておけば
お洒落に見えるから安心だという風潮も
広がっていったと記憶している。
ジャケットもシンチラもスイムショーツも
昔の大きめサイズで、
今では普段着としてはあまり着ることがなくなってきたが、
過酷な天候の際には今でも大活躍するたのもしいウェアだ。

ノラ猫でも品よく見える目白界隈、とてもいいところです。

13.150 km   1時間12分14秒  走りました

【過去記事】
谷端川(源泉から池袋本町)
谷端川 2(池袋本町から小石川)
谷端川と池袋の名の由来
神田川に注ぐ谷端川
石神井川
かつての石神井川
石神井川 旧河道
石神井川 旧河道の露頭
昭和の石神井川
霜降銀座 古石神井川と谷田川
石神井川 沼
石神井川に佇む不動明王 安全の祈願
石神井川の付け替え
下野谷遺跡
王子七滝
長池跡(谷戸川源流)
不忍池
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ボクらのホームグラウンド、前谷津川
池袋の川 弦巻川
千川上水跡
分水嶺、千川上水調節池跡
河骨川(春の小川)
自然の猛威 渋谷川千駄ヶ谷・代々木支流付近の谷
中台馬場先貝塚
池袋富士塚と池袋貝塚
急傾斜地
新宿区 赤城元町の崖
池袋 四面塔尊
のぞき坂
縁切り榎 政略結婚と女性救済の場
徳川慶喜 第六天町 屋敷跡
目白台 台地の屋敷
近藤勇と新選組隊士供養塔
新選組 沖田総司 逝去の地
案内標識と庚申塔
清戸道の名家
巣鴨遺跡
城跡
仙がい義梵
迷子センター
別れの橋跡・見送り坂と見返り坂 本郷4-37先本郷通り
駒込富士神社と古墳群

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