2019年12月12日木曜日

2019 9/27 『上野 殉死者の墓』

上野公園から鴬谷駅に向って行くと、右手に殉死者の墓の碑がある。
地図の黒丸あたりの武蔵野台地の縁で崖下には山手線などが崖に沿って走っていて、墓地に入れば眺望は良いだろう。かつての眺望は抜群だったはずだ。
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慶安四年(一六五一)四月二十日、三代将軍徳川家光が死去した。
その後を追って家光の家臣五名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。ここには家光の家臣四名と、その家臣八名の墓がある。
堀田正盛(元老中、下総国佐倉藩主)。
阿部重次(老中、武蔵国岩槻藩主)。家臣の新井頼母・山岡主馬・小高隼之助・鈴木佐五右衛門・村片某。
内田正信(小姓組番頭・御側出頭、下野国鹿沼藩主)。家臣の戸祭源兵衛・荻山主税助。
三枝守恵(元書院番頭)。家臣の秋葉又右衛門。
殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹の風習があった。
江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。
家光への殉死から十二年後、寛文三年(一六六三)に幕府は殉死を禁止。その後、この風習はほぼ絶えた。
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義尽くす.....近代でも殉死をする人もいますね。しかし、命がもったいないと個人的には思うが。でも、命を粗末にしているわけではないのだけど。

10.74km 1時間20分23秒 7:29 /km

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