2019年12月12日木曜日

2019 10/15 『経王寺 山門の弾痕と上野清水観音堂のアームストロング砲の砲弾』

谷中(谷中銀座の入口)の夕焼けだんだんのそばに経王寺がある。
このお寺の山門には弾痕がいくつもあるのは、幕末、新政府軍と彰義隊が上野の山(寛永寺)で闘った上野戦争で、敗走した彰義隊をこの経王寺がかくまったことで、新政府軍に攻撃をされた際にできたもの。
弾痕は歴史好きの観光客によって触られて、エッジは丸くなっている。
そして、下から2番目と3番目は上野の山の上野清水観音堂内に掲げられている上野戦争を描いた絵馬と佐賀藩のものであろうアームストロング砲の砲弾。
現 東京大学(旧 加賀藩前田家上屋敷)に陣を構えた新政府軍のアームストロング砲は不忍池を越えて、上野の山での闘いに加勢した。
アームストロング砲の威力に、旧幕府軍の彰義隊はとても驚いたことだろう。上野戦争はあっという間に終わり、多くの彰義隊が命を落とし、遺骸は野ざらしにされたという。
一番下の写真、最後の将軍 徳川慶喜が晩年撮影した写真がいくつもあるが、上野戦争あお指揮した長州藩の大村益次郎像を撮った写真が有名だが、どのような思いで撮ったのだろうか。とても気になる。(将軍が撮った明治より)

10.74km 1時間20分23秒 7:29 /km

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