2015年6月26日金曜日

2015 6/9 『東池袋遺跡』


案内チラシより引用...

現在のあうるすぽっと周辺は東池袋遺跡として、豊島区の遺跡に指定されています。
この東池袋遺跡は、江戸時代のはじめ頃の旗本中西家の屋敷地をおおむねその範囲としていますが、1719年(享保4)に屋敷地は東西に分割され、「御鷹方御役屋敷」が1864年(元治元)まで設けられました。
屋敷地が分割された享保年間といえば、徳川吉宗が将軍となり鷹狩を盛んに行うようになった時期です。
文献資料によれば、この屋敷地には、20戸前後の鷹匠の屋敷と、鷹匠同心の長屋が建っていました、
鷹を飼育している「御鷹部屋」は、現在の雑司ヶ谷霊園にあり、職場として住まいは区別されていました。
東池袋遺跡では、これまで幾つかの発掘調査が行われていますが、主なもの簡保検診センター地区、東池袋4丁目再開発地区の2つです。
これらの発掘調査では、御鷹方の屋敷地であった時代の遺構や遺物のほか、旧石器時代や縄文時代の遺物もみつかっています。

....地図をみると、広大な屋敷があったのはグリーン大通り、豊島岡女子学園、東京福祉大学池袋キャンパスらへんのようだ。
写真撮ってしばらく見続けていたら、人だかりが。
若いパパママさんが、覗き込んで「めっちゃ色ちがう!」って。

かつて、東急ハンズ裏あたりから水が溢れ出し、東池袋から護国寺そして神田川へと水窪川が流れ、メトロポリタンホテルあたりから水が溢れ出し、雑司ヶ谷をから護国寺そして神田川へと弦巻川が流れていた。台地を流れる川のそばにホモサピエンスが集り生活を営んでいた。
開発で区役所にタワマンが立ち並び、ガラッと姿を変えた地域だが、縄文時代から現在まで、ココら辺はとても住みやすいということだ。


8.320km

0 件のコメント:

コメントを投稿